大黒松太夫

天地明察を見た

この所、暦法絡みで色々思い出すことがあったので amazon prime天地明察を見た。天地明察冲方丁*1の同名の小説を映画化したもので、渋川春海*2による江戸の改暦を大胆に脚色しながらドラマチックに描いている。

で、渋川春海は元で作られた授時暦をベースに日本用にカスタマイズした暦法で『大和暦』を作り上げるのだけれども、幕府主導の改暦を容認できない公家の妨害を受けることになる。まあ観象授時は天皇の大権なので御公家さんがむかつくのは分かる。でも一方で観象授時は天皇の責務でもあるので、天象と2日もずれた暦を頒布するのは問題だろうというのが、反対派の頭からは抜け落ちてるわけだ。

そして、改暦と渋川春海の両方に好意的な土御門泰福は宮中で二人組の公家から散々嫌味を言われる*3。この二人組の公家は天地明察-Wikipediaによると役名として、宮栖川友麿と大黒松太夫*4の名前が与えられている。映画としては2人とも架空の人物だろう。しかし大黒松太夫の名前を見た時、ちょっと吹いた。大黒松太夫は大黒党を束ねる人物の名乗りで、足利義満の時代には確認されている由緒ある名前だ。

そしてその大黒党は古くは宮中の菊の節句のために菊を献上する役目を持ち、洛中の唱聞師を束ね宮中の三毬打*5を行う役目を持っており散所出身とはいえ、それなりの由緒のある一党だ。ところが土御門家が陰陽師の免状の発給権を入手したことで、大黒党は土御門家の配下に組み込まれてしまう。そりゃ大黒松太夫さん、土御門のボンには腹立つよね。

実は史実の土御門泰福は、配下に組み込んだ大黒党の光太夫から「大黒党もまた安倍晴明の家柄に連なるものである」という訴えを起こされて、それが認められてしまうという逆ネジを喰わされた人でもある。

*1:ずっと『冲』じゃなくて『沖』と勘違いしていた。FFORTUNEの頃には『沖』じゃなくて『冲』ですよと何度かコメントしていたというのにこの体たらく。

*2:作中では渋川春海に改名する前の安井算哲で通している。改暦には膨大な計算が必要なので『算哲』が相応しいのかもしれない。

*3:この嫌味の嫌らしさは、天地明察の見どころの1つかもしれない。

*4:宮栖川友麿の方が偉い。

*5:左義長

仙人曰く

現代人が古人に勝る事

閲微草堂筆記の卷十五『 姑妄聴之一』にこんな話が収録されている。

徳春斎が扶乩をした。仙人が壇に降りてきたけど詩を作るわけでもなく、ただ劉仲甫と名乗った。
周囲にはこの名前に心当たりがある人間がいなかった。
しかし一人碁の名手がいて、「この名前は南宋の名人で棋訣四篇の著作がある」といった*1
そこで「やったら負ける」という仙人に頼み込んで碁を打ってもらう。
実際、仙人の半目負けで勝負がつくのだけど、対局者が「仙人様は謙遜してらっしゃる。後輩をはげまそうという思し召しですか。」といったのに対して、「後世の人間は何事も古人にはおよばないけど、暦学*2と碁については後世の人間の方が優れているのだよ。」と答えて、さらに以下のように続けた。
暦学は古人の到達点を出発点とするから、後世の暦学は過去を越えることができる。
碁についていうと、時代と共に人間が軽薄になって人情が薄くなっていくせいで、相手を倒そうとする術が双方で激突し奇計を編み出すことが続けられている。そのため古人が思いもつかなかった騙しの手口や、思いついてもやろうとしなかった作戦を平気で使ってくる。だから謀略は後世の方がより強力だ。碁も謀略の一つなので碁も後世の方が強い。
それを聞いた周りの人間は皆溜息をついた。

この暦学は今のサイエンス全般に当てはまるだろうけど、確かに暦学やその基礎の天文観測で顕著だろう。天体位置の推算式があれば、そこを出発点にして観測精度を高め、それが結果として推算式の精度を高めることになる。

*1:中国では囲碁を『棋』と呼ぶ。

*2:原文では『推歩』

京暦と三島暦

あるいは宣明暦と符天暦

現代はともかく、古代から近世まで観象授時は王の大権であり責務だった。暦の作成のためには天体観測*1が必要になる。そして天体観測のためには、観測地点の位置*2情報と時刻の管理が必要になる。機械式の時計の無かった時代、時刻の管理は大変だったと思う。水時計は精度が問題になるし、また水の補給の問題がある。

結局の所、天体観測で水時計を較正して、較正された時刻を使って天体観測の精度を上げていくというサイクルを繰り返さないといけない。人・金・資材をバカのように消費したことだろう。そしてその観測データを基に、太陽や月の位置を推算する計算式を立ててからが、実際の暦作成の始まりになる。

朔望の日時や二十四節季の日時を計算して、月や日付を決定する。そしてを基礎として暦註を付加して行く。膨大な作業だ。日本では渋川春海授時暦を日本用にカスタマイズするまで、天体の位置計算の計算式は全て中国からの輸入だった*3

で、『ムック本というにはゴツイ』で、

信長横死の一因ともいわれる三島暦だけど、関東下向した陰陽師の1人である賀茂在持が作ったものだそうだ。
……
朝廷の暦道の技術が漏れるか、宿曜僧が持っていた符天暦暦法を使う以外に地方で独自に造暦を行うことはできなかった。
……
なお三島暦と京暦の食い違いは、京暦で採用されていた宣明暦が色々吉日が出やすいように小細工するシステムだったために発生した。

と書いたけど、京暦と三島暦に齟齬があったということは三島暦で採用されていたのは符天暦のシステムだったということになる。賀茂保憲は宣明暦の精度に対して危機感を持っていたそうで、符天暦-Wikipediaによると、

小右記』などに暦道と宿曜道が協力して暦を作成時期があることが確認される

ということで、賀茂家が符天暦の計算式を持っていたのは確実なようだ。賀茂在持は宣明暦を見限っていたのだろう。

*1:最低でも太陽と月

*2:緯度・経度。もっとも経度は地球の自転に対して相対的なので観測地点の経度を0度としても問題ない。

*3:この辺りは『天地明察』を読むと良いだろう。映画にもなってる。

ちょっと自己紹介

明後日3日は『ゆるっと東洋占術を語る会』

明後日3日の『ゆるっと東洋占術を語る会』に向けて、世話人のアーロン千生さんがPR活動に勤しんでいる。
今日は主だった参加者の紹介があった。私の紹介もあった。ちょっと面はゆい所もあったので、自分その他についてだらだら書いてみることにする。

自分のことを簡単にいうと『物理屋の尻尾がある占い師』ということになる。物理屋の尻尾というのは、プラズマ分光という実験物理の分野で博士論文の審査を通過して工学博士の学位を取ったことを言っている。博論の主査は荒田吉明先生で、先生の定年退官直前に審査を通過したので、言ってみれば関門弟子ということになる*1。プラズマ分光では直接の指導教官だった三宅正司先生から較正(calibration)を徹底的に叩き込まれた。

占いの勉強を始めたのは中学の頃で、祖父の遺品が切っ掛けとなって『泰山全集』を集めることになった。当時はバイトなんてできなかったので、昼食のパンを削って小金を貯めては泰山全集を揃えていった。泰山全集を読破して行く過程で、四柱推命六壬紫微斗数の基礎を身に付けると共に、奇門遁甲や七政四餘という術の名前を知った。後、家に黄小娥さんの『易入門』と徳間の『易経』があったので、易卦の名前はそれで覚えたけど爻辞は無理だった。

高校の頃に文研出版の『五術占い全書』と出会って透派ショックの洗礼を浴びた。この頃、周易が当たらなくなる時期に入っていた上に、透派の「周易は占いじゃない」説のせいで、再度、周易で占うことができるようになるのに10年か20年はかかったと思う。この「周易は占いじゃない」説は、加藤大岳から鎧袖一触に粉砕されるようなものでしかなかったけど、初心な時代には強烈だった。ちょっと話がズレるけど、透派ショックの頃に、松田隆智さんが本格的に中国武術を紹介していったわけだけど「日本の棒術や槍術には纏糸勁が無い」みたいな嘘混じりだった。こういうことも含めて透派と松田隆智さんは、私の中でリンクしたものになってる。

で、大阪大学に進学して18になって初めて故郷の外に出た。大学では手相研究会に入った。手相研究会は大学祭のシーズンには他大学に御願いして占いのブースを設置させてもらって活動費稼ぎと実占をやっていた。そこそこ稼いでいたので、忘年会の費用は部持ちで、更に余った分を歳末助け合いに寄付して、新聞に手相研究会の名前を載せていたりした。学部の4年以降は卒論、院進、修論、D進、博論で占いからはしばらく離れることになった。

で、就職して仕事で納得できないことが多くなって荒んできた頃に、パソコン通信を始めてニフティのFFORTUNEと出会って、サブシスとか分館の非契約シスオペを務めたりした。ここでの出会いで、六壬紫微斗数が本当に使える術であることが分かった。そして透派の影響を徐々に昇華して行くこともできた。六壬については『占事略决』の存在を知り、後に研究成果を『安倍晴明「占事略决」詳解』を上梓することができた。六壬をきっかけに、ホロスコープ占星術との比較研究が今の私のメインテーマになっている。

アーロン千生さんは私のことを、

私とはよく、占術論議を語りあっていて、兄貴のような頼れる存在。

と言ってくれたけど、アーロン千生さんは私にとって「しっかり者の妹のような存在」だ。私が間違っていると、間違っていることをしめす資料と共に指摘してくれる。もっとも御互い、

真実を追求する手を休めない熱きファイター

なので、ぶつかる時は御互い一歩も引かない。つい先日も、古代中国で観測に基づく天文知識がどれくらい広がっていたかについて激しくやり合った所だ。なお念押ししておくと『ゆるっと東洋占術を語る会』はシロクロつける場ではないので、ゆるっと行きます。そこは安心して下さい。

*1:関門弟子が他に2人いるのが武術とは違う所だ。

だらだらと

昔、私を誹謗するスレが2chに3つ立ってた

金玉さんが自分への誹謗に対して訴訟でケリをつけることにして「今の段階での和解なら受け入れる。誹謗の投稿者のIPと実名他が紐付いた段階では和解しない。」と宣言している。借金玉さんは、金が出来たこと、顧問弁護士を得たことで、この手段に踏み切ることができたわけだけど、そういったリソースを持たない人が泣き寝入りをするしかない状況に強い憤りを感じている。

「かくいう私も童貞でね」じゃなかった、かくいう私も以前は2chに私のハンドルを冠した誹謗スレが3つ立ってたことがある。立てた人間は見当がついてて既に故人だ。発端はmixi占星術のコミュだった。ほとんど John Flory の受け売りでモダンな占星術に対して全方位でケンカ売ってた人がいて、まあフクロにされていたわけだ。で、当時の2chにはその人を誹謗するためのスレが立っていた、それもその人物の個人情報を漁って痛めつけようという趣旨のスレだった。当のフクロにされていた人に大した思いいれは無かったけど、その当時の2chに少しは愛着があったので、こういう使い方には嫌悪があった。それで、mixi占星術2chの両方に探りを入れてみた。

そしたら、mixi占星術のコミュで大御所の後ろから石投げてるような投稿しているジイサンからマイミク申請があった。受けたらサッとマイミク外していった。mixiでマイミクになったら、一応実名と大まかな住所を知ることができる。ニフティと似た感じだ。で、「ああ、エンジェル・ライン使ったな」と見当が付いた。まあこちらは、とっくに電話番号簿への掲載はやめていたので無駄足だったのだけど。

で、2chでちょっと揶揄ったら怒涛の投稿とスレ立てとなったわけだ。ほんと手数だけはあるジイサンで自分に不利なポストがあると大量ポストで押し流すのと、スレを使い切らないままで放置して別スレ立てるのを専らにしていた。私の方はスレに火が付いて、この怒涛の投稿者が件のジイサンだと周知された所で2chからは手を引いた。件のジイサンの冠スレが3つくらいまで立ったのを知ったのは相当たってからだった。このジイサンの冠スレで得た情報から少し手を尽くしてジイサンの住所とか割っておいたわけだけど後で役にたった。

もっとも当時は弁護士雇う金がなかったので訴訟とかを思いきることはできなかった。なので借金玉さんの憤りはよく分かる。と、借金玉さんの勝に賭けているのでチップを少しだが積んでみた。

で、このジイサン、他の人にも同じようなヤリクチで誹謗の限りを尽くしていたので、最終的には名誉棄損で略式起訴となって賞罰の罰が1つついたわけだ*1。このジイサンはインド占星術をやっていて、元オウム信者羽田洋二(ハタヨーギー)から習ったみたいだ。オウム真理教ではハタヨーギーが中心になってラオのインド占星術のテキストを翻訳して研究を進めていたようだ。このチームは今は上祐の所にいるらしい。

もっともオウム真理教でのインド占星術のテキストの翻訳は手探りで始めたわけで、ちゃんと習った人からみると穴が目立ったらしい。で、件のジイサンは伝手を頼って*2インドに行ってラオの所で勉強したらしい。帰国したら散々吹きまくるだろうと思っていたらそうでもなかった。不思議だった。件のジイサン、どうやらラオの所の機関紙を勝手に翻訳して自分の研究成果のようにブログに載せていたそうで、ラオとかから相当に怒られたらしい。それでもゴメンナサイできなかったみたいで、ラオの名前を使えなくなったようだ*3。それから程なくして、ラオや日本でラオの窓口になってる清水先生を誹謗するポストがインド占星術スレにポストされるようになった。分かり易いよね。

余談だけど、オウム真理教のインド占星術チームは村井率いる『大宇宙占星学』のチームとは完全に独立で交流もなかったようだ。松永英明の話では村井が刺殺された後、村井のPCが壊れて『大宇宙占星学』関連の資料は全て失われたそうだけど、辛うじて一部分は残っているらしい*4

で、件のジイサン、他人の研究を自分のもののようにネットに乗せるのが日常茶飯事だった。石川源晃先生のとこの金子先生が講義したホラリーの資料をそのままパクってブログに乗せたのが切っ掛けになって、それまでの盗用までばれることになった。件のジイサンが出したインド占星術の入門書のインド占星術と西洋占星術の比較で使われた西洋占星術についての記述はほとんどが石川源晃先生の著述の剽窃だったそうだ。この関係で件のジイサンの連絡先を知っているかと石川源晃先生の関係者から問い合わせがあったので、既に割っておいた住所とか知らせておいた。盗作してできたインド占星術の入門書は絶版になったそうだ。

まあ世間て案外狭いよね。

ついでにいうと、件のジイサンの絶版にならなかった方のインド占星術本もハタヨーギーのテキストを盗作したんじゃないかと思ってるし、ジイサン、確率についてマトモな理解が無かったので統計による労務管理の著作も、もう一方の著者にパワハラかまして自分を著者にねじ込んだんじゃないかと思ってる。

*1:このジイサンのオマケで民事裁判の被告になった2人にも相当呆れたけどさ。

*2:清水先生あたりか?

*3:2chでオレはラオと個人的にも親しいんだと吹いてたけどね。

*4:最近知った。

借金玉さんにベットする

発達障害でも仕事の苦痛とミスを減らすことができるノウハウ集

借金玉(twitter-id:@syakkin_dama)さんが、ネットでの誹謗中傷に対して訴訟という形で筋を通すことにしたそうで、「自分にベットしてくれ」と呼び掛けていたので私も乗ることにした。その一環で借金玉さんの『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術 Kindle版』を購入した。

昨日の『リアルだとできない』のエントリで書いたように、私は確定診断はないものの、ほぼ確実にASD圏内の人間なので、借金玉さんの自己紹介は身につまされることが多かった。私も連続稼働でアベレージ出すことができなくて、それをパルス駆動の尖頭出力で誤魔化してきたクチだ。そしてそれでおっつかなくなって鬱になってドロップアウトした人間だ。マルチタスクはできなくて、シングルタスクで処理して行くしかない。そのくせスケジューリングは今でも苦手だ。

年齢的には私の方が借金玉さんより30くらいは年上だと思う。今から25年くらい前か、私が40くらいのころから日経サイエンスで今でいう『発達障害』が取り上げられるようになってきた。当時は自分に関わる話とは思えなかったかったけど、娘の学童保育の関連で川崎市の『くさぶえの家』という知的障害のあるASDの子供たちを支援する施設との合同バザーの打ち合わせに出て、そこの指導員の方から、

ウチの子供達は、決まりが何故そうなっているのか推測できない。
なので悪いことをしたら、その場で叱って欲しい。
そうやって決まりとの付き合い方を学んで行くしかない。

という話を聞いて、「自分もそうだ」と気が付いた。そこからASDについて理解して行くことになった。小さい頃に母親が「出ていけ」と怒ったのは、実際には「御免なさいしろ」だったのを理解できたのは50過ぎてのことだった。せめて高校くらいまでに発達障害の自覚と知識があったら、茶番を含めたプロトコルを意識的にインストールすることで、もうちょっとイージーな人生だったと思う。

購入した本を要約すると、

発達障害のアンタが自覚で変えられることはたかが知れてる。道具とセレモニーで補え、かなり楽になるぞ。
以下、ブレークダウンして行く。

で、個々のノウハウが解説されて行く。中には既に自分でやっているものもあった。カバンに全部詰め込め、なんかがそれだ。
道具の部分はともかく、セレモニーを導入しろという部分は私に無かった視点で非常に参考になった。この本は非常に汎用性が高いと思う。

リアルだとできない

マンガだとできるのに

私は確定診断こそないもののASD*1圏内で色々困難なことがある。

  • 気分の切り替えが上手く行かない。
  • 精妙な身体操作が困難*2
  • 聴力に問題がないのに聞き取りが上手く行かないことがある。
  • 顔を見て名前を呼ばないと顔と名前が一致しない。
  • 暗黙の了解をリアルタイムでは処理できない。
  • どうも聴覚過敏があるらしい。
  • どうも臭覚過敏もあるらしい。
  • 他人の表情や声音、身体の動きから思いや感情を察するのは困難。
  • etc.

で、「他人の表情や身体の動きから思いや感情を察するのは困難」で困ることは多い。
ところがリアルだとできなくてもマンガだと登場人物の表情から色々読み取ることができてしまうし、そういうフキダシに収まりきらない思いが積み重なった表情が好きだ。

例をあげてみよう。この絵は山本貴嗣著『紅壁虎ホンピーフー 2巻 Kindle版』の71頁から引用したもので、主人公のホン姐さんが副主人公の蛮童玉三郎とセックス後、先に1人で立ち去るシーンだ。蛮童から「死ぬなよ(ホン)──」と言われるのだけれども、ホン姐さんは黙ったまま複雑な表情をしている。

ホン姐さんは、紅壁虎(ホンピーフー)*3の名前で知られる殺し屋で房中術の達人。その術で男から生命エネルギーを吸い取って少なくとも100年は生きてそうな存在だ。副主人公の蛮童は、生命エネルギーが横溢過ぎて普通の女子では蛮童とのセックスに耐えられないという設定になっている。ホン姐さんは房中術の達人なので、そんな蛮童を充電器代りに使っている。第1話では瀕死の重傷を負ったホン姐さんが蛮童から精気を吸い取ってかなり回復していた。なお蛮童は警察官なので本来はホン姐さんを逮捕しないといけないのだけれども、その辺りは年の甲というやつでホン姐さんに翻弄されている。

以下は私の感覚なので、作者の山本貴嗣さんが実際にどれくらいの思いを重ねてホン姐さんの表情を描いたのかは分からないけれども、こういう前提から、ホン姐さんの複雑な表情からは、

  • 蛮童好きよ長生きしてね。
  • でもやっぱり私のほうが長生きしちゃうのかな。
  • 蛮童、私の銃口の前には立たないでね。
  • 命を助けてもらった借り、いや恩は忘れてないよ。

くらいの思いを読み取ることができる。

もう1つ、今私が一押しの百合マンガ『田所さん』から画像を引用してみる*4。これはスッタモンダの末に3位入賞を果たした田所さんが、恋人の二階堂さんに嬉しくて抱き付いたところで、二階堂さんが「え、1位で当然なのに?」と戸惑うところから始まって、すうっと目が優しくなって、「おめでとうございます」と田所さんを抱きしめるシーンだ。

優しくなって行く二階堂さんの目は、

そうだ、この人は素敵なマンガを描くためにたくさん努力する素敵な人だった。
こんな素敵な人を好きになることができて良かった。
この人を好きで良かった。
大好き。

くらいは語っているんじゃないだろうか。

こういう色々折り重なった思いを表情で表現して1コマの中に凝縮させる。そして解釈は読者に任せながらストーリーに深みを持たせていく。マンガの表現て素晴らしいものだと思う。

これがリアルな表情からでも色々読み取ることができたら、私の人生ももうちょっとイージーでなおかつ深みがあったのかもしれない。

*1:Autism Spectrum Disorder(自閉スペクトラム症

*2:悪筆はその表れの1つ

*3:壁虎は中国語でヤモリだそうだ。

*4:pixiv版の92話