ちょっと自己紹介

明後日3日は『ゆるっと東洋占術を語る会』

明後日3日の『ゆるっと東洋占術を語る会』に向けて、世話人のアーロン千生さんがPR活動に勤しんでいる。
今日は主だった参加者の紹介があった。私の紹介もあった。ちょっと面はゆい所もあったので、自分その他についてだらだら書いてみることにする。

自分のことを簡単にいうと『物理屋の尻尾がある占い師』ということになる。物理屋の尻尾というのは、プラズマ分光という実験物理の分野で博士論文の審査を通過して工学博士の学位を取ったことを言っている。博論の主査は荒田吉明先生で、先生の定年退官直前に審査を通過したので、言ってみれば関門弟子ということになる*1。プラズマ分光では直接の指導教官だった三宅正司先生から較正(calibration)を徹底的に叩き込まれた。

占いの勉強を始めたのは中学の頃で、祖父の遺品が切っ掛けとなって『泰山全集』を集めることになった。当時はバイトなんてできなかったので、昼食のパンを削って小金を貯めては泰山全集を揃えていった。泰山全集を読破して行く過程で、四柱推命六壬紫微斗数の基礎を身に付けると共に、奇門遁甲や七政四餘という術の名前を知った。後、家に黄小娥さんの『易入門』と徳間の『易経』があったので、易卦の名前はそれで覚えたけど爻辞は無理だった。

高校の頃に文研出版の『五術占い全書』と出会って透派ショックの洗礼を浴びた。この頃、周易が当たらなくなる時期に入っていた上に、透派の「周易は占いじゃない」説のせいで、再度、周易で占うことができるようになるのに10年か20年はかかったと思う。この「周易は占いじゃない」説は、加藤大岳から鎧袖一触に粉砕されるようなものでしかなかったけど、初心な時代には強烈だった。ちょっと話がズレるけど、透派ショックの頃に、松田隆智さんが本格的に中国武術を紹介していったわけだけど「日本の棒術や槍術には纏糸勁が無い」みたいな嘘混じりだった。こういうことも含めて透派と松田隆智さんは、私の中でリンクしたものになってる。

で、大阪大学に進学して18になって初めて故郷の外に出た。大学では手相研究会に入った。手相研究会は大学祭のシーズンには他大学に御願いして占いのブースを設置させてもらって活動費稼ぎと実占をやっていた。そこそこ稼いでいたので、忘年会の費用は部持ちで、更に余った分を歳末助け合いに寄付して、新聞に手相研究会の名前を載せていたりした。学部の4年以降は卒論、院進、修論、D進、博論で占いからはしばらく離れることになった。

で、就職して仕事で納得できないことが多くなって荒んできた頃に、パソコン通信を始めてニフティのFFORTUNEと出会って、サブシスとか分館の非契約シスオペを務めたりした。ここでの出会いで、六壬紫微斗数が本当に使える術であることが分かった。そして透派の影響を徐々に昇華して行くこともできた。六壬については『占事略决』の存在を知り、後に研究成果を『安倍晴明「占事略决」詳解』を上梓することができた。六壬をきっかけに、ホロスコープ占星術との比較研究が今の私のメインテーマになっている。

アーロン千生さんは私のことを、

私とはよく、占術論議を語りあっていて、兄貴のような頼れる存在。

と言ってくれたけど、アーロン千生さんは私にとって「しっかり者の妹のような存在」だ。私が間違っていると、間違っていることをしめす資料と共に指摘してくれる。もっとも御互い、

真実を追求する手を休めない熱きファイター

なので、ぶつかる時は御互い一歩も引かない。つい先日も、古代中国で観測に基づく天文知識がどれくらい広がっていたかについて激しくやり合った所だ。なお念押ししておくと『ゆるっと東洋占術を語る会』はシロクロつける場ではないので、ゆるっと行きます。そこは安心して下さい。

*1:関門弟子が他に2人いるのが武術とは違う所だ。