銅銀二匙
昔、透派五術を初めて一般向けに解説した文研出版の『五術占い全書』で『大六壬銅匙』と『小六壬銀匙』がちらっと紹介されていた。『銀匙」の方は射覆に特化したもので、周易の射覆しか知らない日本人に本物の射覆を教えてやるぜって感じの紹介だった。確か銀匙の勉強会か書籍の案内をもらった記憶がある。ただ当時は高校生で金も無くて見送った。
どうやら希望者が少なくて、出版されないままポシャッたらしい。
『小六壬銀匙』の『小六壬』は淳風時課ではなくて、射覆大会を想定した短時間に対応する六壬だったのではないか?と想像している。六壬では、
常以月将加占時
なので1刻2時間内は常に同じ課式となる。射覆の大会で2時間内に複数の出題となると確かに通常の六壬では対応し難い所はある。金口訣六壬なら地分を変えることで対応できるけれども、透派十三世の張さんは金口訣六壬を『異端の六壬』と呼んでいた*1ので、銀匙が金口訣だったとは考え難いだろう。
となると短時間に対応した六壬だった可能性は否定できないだろう。透派だと皇極経世書にならって、月-時や年-日には同じようなシステムを採用している。例えば立向遁甲盤の局数は月と時は10時1局、年と日は1時1局とかだ。なら小さい時だと、月→時、日→分、時→秒を思い付くけれども、流石に秒は使いづらいだろう。なら、月将の代わりに日将を使って見えないものを占う技法もあるので、日干支の代わりに分干支を使うものだったのかもしれない。
多分、銅匙銀匙というタイトルの古典は実在したのだろうけど張さんのことだから、銀匙が射覆の本だったかどうかは分からないけどね。そして射覆の本だったとしても、小さな時間用の六壬を使った射覆だったかどうかは分からない。『奇門遁甲天地書別巻極奥秘訣』*2の行軍三奇とか、それまで引用されてた行軍三奇と関係無くぼこっと透派の行軍三奇の勝ち負けとか出てくるわけで、そういうタイトルの古典があったとしても透派が言ってる内容である保証は無い。