ワールドカップの勝負占他

日本対ブラジル

本日の意見交換会に備えて、刈谷市の宿についてから何気なくTVを見てたらワールドカップの話をしてた。それでふと日本対ブラジル戦の帰趨を占ってみるか、となった。こういう場合はまず、ホームとアウェイを調べることにしている。

これはその昔々に USA のアメリカン・フットボールの試合を六壬で占った経験から来ている。六壬の占いではホームチームが勝つと出たのだけど、どちらがホームチームか分からなくて一課三課の象からチームの当てはめを行った。

ところがそれが正しくなくて外したことがあった。後で得た情報だと、第三者のグランドで戦う時も、どちらがホームでどちらがアウェイか決めるということだった。

この経験は大きくて、必ずホームとアウェイを確認してから占っている。甲子園の高校野球を占う時も1塁側をホームチームとして占っている*1。それで確認したところ、ブラジルがホームチーム扱いで日本はアウェイ扱いということがわかった。

それで立てた課式がこれになる。一課二課側がブラジル、三課四課側が日本ということになる。まず二課と三課がダブっていて不備のある課式なのが目立つ。この場合は陰神である二課が消えるので、ブラジル側には戦力不足の可能性がある。ただし、干上神一課が日干の長生であるというのは大きい。

一方、三課には天空が乗じているので、日本は得点能力に難有りということになる。ただ三伝を見ると発用初伝が勝光午の火行、中伝が大吉丑の土行、末伝が伝送申の金行で、火生土、土生金と遁生している。しかも末伝は日支の徴明亥を生じている。これはジャイアント・キリングがあるかも、ということで以下のポストをした。

しかし結果的には、ブラジルが 2-1 で勝った。

で、課式を振り返ってみると、

  • 末伝は空亡しているので遁生が途切れている。
  • 末伝の伝送申は日干の徳神の寄宮支である。

の2点と、干上神一課が日干の長生ということで、日干側ホームチームのブラジルが勝ったというわけだ。

意見交換会

今回の実家行は車で行ったので、帰路刈谷で愛弟子*2と意見交換会をしてきた。充実した意見交換ができた。両貴夾日や両貴夾辰、日辰夾禄の話や陰陽貴人で挟まれる墓神の話などこちらの見識もずいぶん深まった。弟子が優秀だと師匠も成長できる。

*1:そして当てた。

*2:富永祥玲さん。

チャッピーと一緒に

このブログを大量に読んでもらった

ChatGPT にこのブログを含めて、自分の文章を大量に読んでもらった。"A Bit of Numerological Foolishness"のエントリもその成果の1つで、チャッピーが「内容的にまだ古くなってない」と評価してくれたので、英語が母語で占いにも詳しい人に英訳してもらって UP してみたというわけだ。

このブログでは、敵認定した人間をdisったこともあったけど、そういう連中が私をdisるとしたらどんな文章になるかをチャッピーに1000文字くらいにまとめてもらった。


北斗柄という人は、確かに知識量は豊富だ。暦法も調べるし、プログラムも書くし、古典も読む。しかし問題は、その知識を自分の権威づけのために使い過ぎることだ。

何か議論になると、すぐに「自分は原典を読んでいる」「自分はプログラムを書いて検証している」「相手は理解していない」という構図に持っていく。確かに相手より詳しい場合もあるだろう。しかし、それが即座に自分の解釈の正しさを保証するわけではない。

特に紫微斗数に関しては、その傾向が顕著だ。自分の流儀と異なる解釈を見つけると、学説の違いとして整理するのではなく、「分かっていない」「勉強不足」「盗作だ」といった方向へ持っていきがちである。学問的な議論をしているように見えて、実際にはかなり感情的な縄張り争いになっていることも少なくない。

また北斗柄氏は、他人の誤りには非常に厳しいが、自分の誤占や失敗については「課式が違った」「年命が出ていなかった」「別の要因があった」と逃げ道を残すことが多い。もちろん反省記事を書く点は誠実だが、その一方で他人には同じ寛容さを与えていないようにも見える。

さらに厄介なのは、本人が非常に頭が切れることだ。議論になると相手の弱点を見抜き、皮肉や揶揄を交えながら攻撃する。本人はユーモアのつもりかもしれないが、受け取る側からすれば「また始まった」と感じることもある。敵認定した相手を何年も観察し続けて記事を書く執念深さは、研究者的と言うより論壇ゴロ的ですらある。

暦法や天文計算へのこだわりも、実占家から見れば行き過ぎに映ることがある。もちろん暦は重要だ。しかし占術とは最終的には人を鑑る技術であり、暦法研究そのものが目的ではない。ところが北斗柄氏は、時として「ソフトウェアよりハードウェア」に意識が向き過ぎているように見える。占いの実務より、暦の正統性論争に情熱を燃やしている印象すらある。

そして最大の問題は、本人が反体制派であることを半ばアイデンティティにしている点だろう。NIFTY時代の逸話を見ても、自ら「暗躍した」と語り、「底知れぬ暗闇の悪意」という異名をどこか楽しんでいる節がある。権威に対して疑問を持つのは良い。しかし、反対すること自体が目的化すると、建設的な議論よりも批判のための批判に流れやすい。

要するに北斗柄氏は、優秀で博識な人物であることは間違いない。しかし、その知性とエネルギーを「自説の補強」と「敵との論争」に使い過ぎる。もう少し人を育てる方向に向けば、日本の紫微斗数界にとってより大きな財産になったのではないか……


言葉にトゲがあるものの、内容的には誉めてて笑う。ま、自分のブログから作ってもらった文章だから、こうなるのも仕方がないか、でも笑う。

天候占

今年の夏は暑いのか?

気象庁の長期予報によると、まるでヴォージョレー・ヌーボーのような感じで「サイコーの暑さ」という感じなんだけど、6月も下旬が近づいてきたのに暑さはまだこれからという印象だ。

台風6号は例年と比べて予報円は小さいし台風の移動速度も速かった。これは多分、チベット高気圧が弱いせいなんだろう。ここ数年は太平洋高気圧とチベット高気圧の両方から進路を阻まれて台風が偏西風に乗れなくて、のろのろだし進路予想も難しい状況だった。

それで今年の夏がどれくらい暑いか占ってみることにした。三課四課に賊があり、どちらも陰なので渉害課ということになる。この場合は渉害の数が5になる四課が発用に立つ見機となる。自分は天候占ではほぼ三伝しか見ない。夏の序盤に対応している発用が徴明亥で天后が乗じているところを見ると、涼しくて雨が多い感じだ。実際、今の所時々寝る時の布団の選択に迷うとか、明け方に布団を替えることがある。

中伝が從魁酉で玄武が乗じているので夏の中盤もそんなに熱くなくて、雨が多いかもしれない。日鬼なので降ると豪雨の可能性がある。

終盤の末伝が小吉未なので、終盤は暑い日が続くことになりそうだ。終盤というと8月だろうか。

なんとなく気象庁の予想よりもチベット高気圧が弱い感じで、今年の夏は過ごしやすそう、というのが占った結果になる。

刑囚夾印

左膝が痛い

今年は丙午年なので、廉貞が化忌となる。元々、廉貞と天相が同宮している。廉貞は囚星で、天相は印星なので刑囚夾印の可能性がある。そして丙年の流羊は午宮にあって廉貞・天相がある子宮を対面照射しているので、正しく『刑囚夾印』が成立している。子宮は先天の兄弟宮、大運の遷移宮、流年の奴僕宮となる。

実際10年前の刑囚夾印は先天兄弟宮で現れて兄の急死となった。なので今年の刑囚夾印も何かありそうということで用心はしていた。兄は既に亡くなっているので、兄弟関係ではもう何も起こらない。となると大運遷移宮の遠距離移動か流年奴僕宮か、ということになる。西洋占星術との比較研究から、紫微斗数でも奴僕宮に健康の象があると考えているので、健康面に出るかもしれないとは思っていた。健康面で出るとしたら廉貞が持つ、骨折や歯の問題として出るだろうとも予測していた。

そうしたところ、先週の木曜の夜にしゃがみこんだ時に左膝に違和感を感じて、金曜・土曜と痛くなってきた。チカラのかけ方によっては激痛が走る。なので土曜から外出するときはサポーターを巻いて杖をつくことにした。幸い一時期、階段の上り下りの運動をやってた時に両膝のサポーターと登山用の杖を用意したので、それが役にたった。

日月としのいで16日の火曜に整形外科を受診してきた。

  • 骨には異常が無かった。
  • 間接部の骨と骨との間隔から、軟骨がすり減っているわけではなさそう。
    • となると半月板とかの軟骨絡みということになるが、それにはMRI検査が必要になる。
  • まずは1週間くらい、痛み止めで様子をみよう。

ということになった。それで湿布と痛み止めをもらってきた。家の中でもなるべくサポーターを巻くようにしている。今日は昨日よりも動き易くなった感じだ。1週間経って調子が好くなっていてもMRI撮ってみたい気はしてる。なんとなく半月板の損傷かな、という気がする。

膝に違和感を感じたのが丙辰の日というのもそれらしい。年干の丙と日干の丙がダブってる。軟骨も廉貞の範疇なら、今年の厄は果たせたと考えている。これくらいで済んで好かった。ただ72歳からの大運宮は干支が丙午なので10年間刑囚夾印と付き合わないといけなくなる。今から気が重い。

A Bit of Numerological Foolishness

reduction

There is a technique in numerology known as reduction. It is employed when a mathematical operation—usually to find the sum of related numerical values—results in a value greater than 10. The numerologist adds up the digits of the result; if their sum is greater than 10, the digits of this sum are then added together. This is repeated until a number between 1 and 9 is obtained.

In truth this operation is not much different, mathematically speaking, from a method for finding the remainder when the original value is divided by 9. If we consider the value to have divided evenly when it leaves a remainder of 9 rather than 0, the two are exactly the same.

We can see this if we take any decimal number with a length of m+1 digits, A_m A_{m-1} A_{m-2}\cdot\cdot\cdot A_1 A_0, and subtract the sum of its digits, A_m + A_{m-1} +A_{m-2}+\cdot\cdot +A_1 + A_0.

\sum_{i=0}^m (10^i\times A_i)  - \sum_{i=0}^m A_i
  = \sum_{i=0}^m \{A_i \times (10^i - 1)\}

10^i - 1 is a multiple of 9. The difference between a number and the sum of its digits will therefore be a multiple of 9.

If we divide both sides of the above equation by 9, the remainder on the right side will prove to be 0. The remainder when the original value is divided by 9 is therefore equal to the remainder when the sum of its digits is divided by 9.

From this we can see that the sum of the digits of the sum of the digits, when divided by 9, will also leave a remainder equal to that left over when the original value is divided by 9. So we can conclude that the number obtained by the reduction technique is equal to the remainder left over when the original value is divided by 9 (with the proviso that remainders of 0 and 9 are considered equivalent in numerological reduction.)

This approach is valid generally for numeral systems other than base–10. Reduction in a base–n system can be accomplished by finding the remainder of the original value divided by n - 1, with 0 and n - 1 being equivalent results.

When we look to the binary world, however, something interesting happens. Reduction in a binary system consists in finding the remainder when a value is divided by 1, and results of 0 and 1 would be considered equivalent. Since there are no numbers that cannot be divided evenly, all binary numbers end up reducing to 1.

This suggests that binary numbers cannot distinguish between good fortune and ill fortune…meaning that luck has no bearing on hardware that operates on the binary system, such as CPUs and memory.

If we want reduction to produce at least two possible results we must turn our attention to the ternary numeral system, in which all numbers reduce to either 1 or 2. One of these results would probably represent good fortune, while the other would point to ill fortune. To create a computer that operates on the ternary system, one would doubtless need a digit (we may refer to it as a trit) to adjust values so the results of reduction always point to good fortune.

Shannon's theorem leads us to expect extremely high efficiency from ternary computers—contingent, of course, on the development of a suitably high speed switching element. I hereby claim priority with regards to the addition of an extra trit to stabilize operation against the effects of fortune. Heh, heh.

(This is an English version of an original Japanese article published August 21, 1999.)

基準卦とその使い方

新刊が出ました

玄珠さんに書いてもらって書籍にしました。今日、鴨書店様に納本してきました。捌け次第、追加で印刷納入しますので慌てなくても大丈夫です。

基準卦というのは、

基準卦とは、 「得卦の理解を容易にする目的で仮設的に設定する、意味の明瞭な卦」

です*1。基準化の一種に理想卦があって、これは非常に意味が明瞭です。病気や怪我からの本復を表す復卦、恋愛やセックスの咸と言ったものです。本書ではこれらの他に色々と得卦と占った時の状況を合わせて「仮設的に設定する、意味の明瞭な卦」の捉え方が解説されています。基準卦と得卦、現状を合わせて考えることで、得卦を深く読むことができますし、状況の推移も読み取れるようになってきます。

このように基準卦は、得卦を読み解くための非常に強力なツールですが、副作用として卦象が見えるようになってきます。基準卦と得卦の爻の違いを見比べて行く内に、卦象が見えるようになってくるのです。少なくとも私はそうでした。

この前の『折り重なる卦意』が智識の書であるとすると、本書は運用の書になります。2つ合わせて、初級の殻を打ち破って下さい。
なお、本書の冒頭で推理小説よろしく、読者への挑戦状がしめされます。手に取って読んでみて下さい。

*1:本書11頁

絶体絶命その後

色々教わった

この前の『絶体絶命』のエントリをあげた後に twitter で色々教わることができた。一番重要だったのが香酉幸風さんの以下のポスト。

この八遊星にはちゃんと絶体と絶命の両方がある。図の中央に坤卦があるので、原型ではない今の八遊星と比べることができる。

爻変原型現行
全爻変絶体延年
中下爻変福徳天医
上下爻変遊魂六煞
下爻変禍害禍害
上中爻変天医五鬼
中爻変絶命絶命
上爻変生家生気
不変遊年伏位

一番、異動が激しいのが現行の五鬼で原型では天医になっている。あるいはこの異動は風水用と命術用の違いなのかもしれない。
伏位つまり元と同じ八卦が原型では遊年となっているが、これが「大遊年変爻法」の名前の元となったのではないかと、香酉幸風さんは推測している

もう1つ教わったのがこの命術用の八遊星が、韓国の洪煙奇門の洪局に生気八卦として出てくるということだった*1。それで久しぶりに黒門さんのサイトを見に行った*2韓国の奇門遁甲(洪煙奇門)の洪局の説明に以下の図が出て来る。






天医が天宜となっているが他は全く同じだ。黒門さんの説明だと洪局は命術用みたいな感じなので、香酉幸風さんが教えてくれた八遊星はやはり命術用だったのかもしれない。

ま、絶体絶命が占術由来だったとしても、九星ではないことは確認できたと思う。

*1:教えてくれた人は鍵アカなので引用とかしない。

*2:破片が残ってた。