案外バズった

赤松健を応援している

赤松健は『マンガ図書館Z』を運営していて、絶版になったマンガをCM付で読むこともできるしPDFで購入することもできる。今の収益がどうなっているかは知らないけど、『マンガ図書館Z』を身銭をきって始めたことについて高く評価している。赤松健もまた菩薩行の行者なのだろう。菩薩行の行者は、まず「このクソ野郎も救う1人かよ」と思うことはしばしばだし、「こいつだけはオレを理解している」と思ってた人間から裏切られることもある。なので菩薩行なんてのは、ソウルジェムが灰色に濁ったオッサンとかがやるべきものだ。無垢な少年少女が菩薩行を志したとしたら周囲の大人が頼りなさ過ぎるということだと思っている。

閑話休題、なので、こういうtweetをしたら案外バズった。

7月2日20:54時点でのインプレッションは179,758 件だ。

ということで赤松健と個人的な繋がりはないのだけど選挙の当落を占ってみた。個人的な繋がりがないのに占う意味があるのかという意見もあるとは思うが、表現の自由とかに関わりがあるので占ってみる資格はあると思う。

四課三伝を見ると発用の河魁(戌土)が地盤寅(木)と天将六合(卯木)から夾剋を受けている。夾剋の財は取ってはならない財だ。
もっとも天盤と地盤が全て会の関係にあるし、重審課の発用河魁(戌土)を末伝功曹(寅木)が制しているのは吉の象だ。しかも末伝は日禄と日徳寄宮を兼ねている。

この吉と凶のどちらを重く見るかで、この課式の吉凶が決まる。残念だが、やはり夾剋の凶は重いのではないかというのが今の私の判断だ。

なお赤松健は1968年7月生まれなので生年干支は戊申になる。申歳生まれの男は行年が太歳と冲になる。今年は寅歳なので赤松健の年命は共に申になる。
なので年命共に四課三伝に出ていない。こういう本人にとって重要そうな問いで課式に年命が出ていないというのは外している可能性が結構ある。というか外していて欲しい。

で、こういうtweetをした。

指年法

京都大学図書館本

占事略决』の写本の1つ京都大学図書館にありデジタル・アーカイブで公開されている。この写本は現存する4つの写本の1つだ。京都大学図書館に寄贈された『清家文庫』に含まれていた。清家文庫というのは京都大学による紹介では、

清家文庫は清原夏野(782~837)27世の孫少納言舟橋秀賢を家祖とする元子爵舟橋清賢氏の伝襲本である。

舟橋家は清原夏野以来,明経博士をもって経書を講じ,現当主の先代逐賢にいたるまで,その家学を継承した儒学の名家である。菅家とともにわが国儒学の双へきであった清原家は後に舟橋と改姓し,あるいは分家して伏原と称したが清原元輔以来,清少納言,頼業等その一門より学者,文人が続出し,学界に輝しい足跡を残している。特に宣賢,業忠,国賢等は碩学の誉高く,特に宣賢は室町時代の代表的経学者として知られている。

とのことだ。文庫内の文書の多くは「文書記録は室町期をさかのぼるものはなく,その成立は主として徳川期」だそうだが、占事略决の写本は保元元年(1156)に指神子安倍泰親が子息の親長に伝授を行った時に使用された写本を安貞三年(1229)に安倍泰隆が書写したもので、かなり古い。こういう写本が清家文庫に所蔵されていたのは、文書家が陰陽家と元々近かったことの傍証ではないかと私は推測している。

閑話休題、この京都大学図書所蔵の占事略决が重要なのは、この写本にのみ『指年法』が記載されているからだ。今日では『指年法』に大した意味があるとは考えてないけれども、かっては物忌をするべき人間を指定するための重要な技法だった。写本では簡潔に書かれている。『占事略决』の37と38コマだ。私の翻刻だとこうなる。

指年法
病事
男以功曹加蛇虎魁罡以大歳上為年
女以伝送加蛇虎魁罡以大歳下為年
口舌
男以功曹加朱雀勾陳以大歳上為年
女以伝送加朱雀勾陳以大歳下為年
慶賀
男以功曹加青龍大裳以大歳上為年
女以伝送加青龍大裳以大歳下為年

男が功曹、女が伝送というのは六壬の基本みたいな感じだ。生まれてくる子供の性別を知る法などでも踏襲されている。
『病事』の男をざっと解説してみると、

男の場合は、功曹を騰蛇や白虎、あるいは河魁や天罡に加えた天地盤を作成して、天盤が太歳*1に当たる所の地盤支の歳に生まれた者を対象とする。

くらいだろうか。ここで問題になるのが、功曹を騰蛇や白虎に加えた天地盤をどうやって作成するかだ。天将は本来、天盤の黄道十二神に乗じるもので地盤には来ない。
天将の本地の十二支を地盤で使う方法もないことはないだろうけれども、やっぱり騰蛇や白虎が乗じた黄道十二神を地盤に見て功曹を加えて天地盤を作成するというのが素直な読み方じゃないだろうか。ただこのやり方だと面倒臭いことが発生する。

例えば、甲日の昼に*2上図の左端の天地盤を得たとする。すると騰蛇は勝光に乗じていて勝光は午だ。そこで功曹(寅)を午に加えた天地盤を作成する。すると甲日の昼貴人は小吉(未)に乗じる。すると小吉が乾の天門を越えて亥宮に移動してしまう。すると天将の配布が逆から順に変わって、騰蛇が乗じるのが伝送(申)となってしまい、功曹を騰蛇に加えたことにならない。それが中央の天地盤だ。

そこで功曹を申に加えた天地盤を作成すると右端になる。この場合貴人は寅宮に居て地戸を越えるかなり手前に居てくれるので、やっと功曹を騰蛇に加えることができた。

この場合はなんとか騰蛇に功曹を加えることができたけれども、状況によっては功曹や伝送を目的の天将に加えた天地盤が作成不能なこともありそうだ。まあ昔の人は天地盤240通りくらいは暗記してただろうから苦労はそんなになかったのだろうけど。

ということで前日の占いで、天将に功曹や伝送を加えることを放棄して、魁罡も冲だし功曹-伝送も冲だし、今年は寅歳だしを考慮してザックリと魁罡の辰戌生まれとみた。

なお魁罡は河魁(戌)と天罡(辰)の総称だけれども、吉神凶煞の魁罡も辰と戌にしか来ないことは覚えておいて損はないだろう。

*1:筆が消耗品だったので、昔の人は『太』を『大』と書くことにそんなに躊躇しなかったみたいだ。

*2:略决本来の貴人法は違うだろ、という突っ込みは承知の上です。

今回も乗ってはみたけど凶だった

解説篇

木下先生から大火球についての報道があったので占えとの諮問があったので占った。

占った時刻が29日の17半くらいになっているのは、私が木下先生のtweetを見て占おうと思った時刻で占っているからだ。
六壬はホラリーの従妹くらいにあたる占術で、ホラリーでは占い師がクライアントの問いを理解した時刻でホロスコープを作成する決まりになっている。それを踏襲したわけだ。

ちょっと剣呑な卦が出た。
六壬では黄道十二神の五行が地盤十二支の五行と乗じた天将の五行の両方から剋されることを忌む。今回の発用初伝は徴明(亥)で水行、地盤は丑で土行、天将は勾陳で土行となっていて、徴明が地盤と天将の両方から剋されている。これを夾剋とよび、どこにあっても凶と見る。それが発用に立っているわけだ。

ということで、三伝全体で凶ということになる。勾陳は勾陣とも書き、軍隊や警察の象となっている。そこで兵乱があるかもね、ということになった。天将から象を採ったので黄道十二神の徴明の亥から方角を採り戌亥の方角とした。ここで大雑把にウクライナの戦争をイメージした。発用の地盤が丑で、Wikipediaによる*1と、

2022年1月 - 2月14日
2022年1月に入ると、ウクライナ各地の公共施設に対する匿名電話やメールによる爆破予告が多発した。稀に爆発物や不審物などが発見されることはあっても、大多数は虚偽通報であった。
1月14日、ウクライナ保安庁(SBU)は一連の爆破予告虚偽通報はロシアによるハイブリッド攻撃の一端であると発表した。

ということて、丑月である1月から戦争が始まっていたと見ることもできる。そんなに外した見方ではないと思う。

三伝が徴明-從魁-小吉と十二支では亥-酉-未と一つ飛ばしで逆に回っているので、邪魔が入りながらも収束に向かうと思う。また末伝が小吉(未)と明るい方に向かっていて、凶の発用を柔らかく剋しているので、ウクライナは独立を保つとみた。

ただ凶であることには変わりがないので、お約束に従って指年法を使って物忌の必要な男女を割り出しておいた。

天下両分之祥也

壬申の乱

以前の『天武天皇の式占』のエントリで、壬申の乱で直接の戦闘が始まる前に、夜半に天を二分する黒雲を見た天武天皇*1が、奇異に思って自ら式盤を取って占った話を取り上げた。この時は、日の干支がどの時刻で切り替わるのか不明だったので、遁甲卜占でお茶を濁すことになった。

その後、小坂眞二先生の何かの論文によると、陰陽寮では日出を日の区切りとしていたのを知った。
奇門遁甲の源流となった太乙九宮術の式盤は出土しているけれども、奇門遁甲の式盤が出土していない以上、式盤を取って占うとしたら六壬神課か太乙神数しかない。太乙よりは六壬の方がありそうだ。そこで天武天皇の読みをトレースしてみることにする。

天武天皇は三月十八日(己酉)に吉野を脱出して東に向かい2ヶ月後の五月十三日(壬寅)に戦争の準備を初めている。
六月廿二日(壬午)には美濃に使者を派遣して、自分の側について関所を閉じることを命令し、更に東に移動しつつ次々と行動を起こしている。六月廿四日には関ヶ原を越えたようで、そのまま夜を徹して更に東に向かっている。その夜半の空に黒雲を見て占ったわけだ。そしてこう判断した。

天下両分之祥也、然朕遂得天下歟。
(天下が真っ二つに別れる象だ。しかし最後は私が天下を取ることになるだろう。)

夜半ということで子刻、六月も半ばを過ぎていたので月将は確実に勝光(午)となる。子刻を過ぎたけれども夜明け前なので、日干支は甲申のままで占ったと考えられる。すると非常に特徴のある返吟課が得られる。

つまり日干甲の寄宮が寅なので日支と冲になる。この状況で返吟課というのはまさしく『天下両分之祥』といえる。
そしてこの課式では一課、四課と二課三課が同じという2つの不備が発生する。陽神は残り陰神は消えるので日干側は二課が消え、日支側は四課が消えることになる。お互い、相手を圧倒する兵力は揃わないという判断になるだろう。これで天武天皇は美濃で大友軍の足止めが効くと判断したと思う。

なおこの課式は勝敗が明瞭で、三課曹功が地盤申と天将白虎の両方から剋されている*2が日干側は一課に騰蛇が乗じているものの三課程には悪い状態ではなく、五行の相剋でも一課伝送が勝つ。では天武天皇は何故、日干側が自分であると判断したのだろうか。おそらくは年命を見たのだろう。天武天皇の出自は謎が多いが、大友皇子は672年生まれで、本命は戊申になる。ということで、本命支が日支と同じなので、大友皇子が日支三課側となる。そこで、

然朕遂得天下歟。

という判断となったのだろう*3。しかし天武天皇は式盤を常時形態していたみたいだ。ひょっとすると正しく醮を行って点光開眼した式盤だったのかもしれない。小法局式では点光開眼後の式盤は赤い袋にいれて肌身離さず携帯することになっている。

*1:この段階では大海人皇子

*2:これを夾剋という。

*3:ニヤリとしながら言ったのではないだろうか。

『楊救貧の帝王風水』を読みながらダラダラ考える

風水の源流

実証! 風水開祖・楊救貧の帝王風水』が手元に届いたので読み始めた。著者は中華易経風水命理協会の理事長を務める張玉正氏だ。翻訳は知人でもある林秀靜さんだ。
読み始めて楊公についてずいぶん認識を改めることができた。風水の源流の1人どころか源流そのものだった。陽公、曾文辿、寥瑀、頼布衣が風水の四大宗師なのだけど、曾文辿と寥瑀は陽公の弟子か弟子筋になる。唐朝の瓦解によって秘匿されていた技術が色々民間に伝搬したようで、楊公の風水術はその最たるものだったらしい。なので楊公の風水術は水法に限ったものじゃなかった。楊公の手になる陵墓や建築物が今でも残っている。ただかなりの経済力がないと点穴して陵墓を築くことができないわけで、貧乏人をたすけるには水法くらいしかなかったのだと思う。水法を使うことで人のや物の流れを自分に有利なように制御することができる。

『実証! 風水開祖・楊救貧の帝王風水』は写真を使って実例が多数紹介されている*1。風水師としての目を養うのに適した本だ。プロの風水師を目指すなら、持っていて損はないだろう。
三浦先生の『風水講義』で、本来の風水に興味を持った人は『実証! 風水開祖・楊救貧の帝王風水』で実例に触れることを御勧めする。図書館で相談してみよう。

まだ読んでる途中だけど風水について色々考えてしまう。現代日本で一番風水を含む開運法に求められているのは、良い職場に就職できる・良い上司に恵まれるような処方であって、水法で集客ではないだろうとか、楊公の時代にはなかった情報の流れを風水で扱えるのだろうか?とかだ。

情報の流れは、雑多な1次情報が2次情報として整理され、高次情報へと変化しながら最後は個人の感想となって飛び散る。これは山龍のイメージに近い。なら情報の流れは地理四課とどう対応するのだろう?とか考えながら読んでいるので、中々読了できない。

*1:その分少しお高い。5280円だ。占いの専門書としてなら、こんな値段はザラだけど。

占考のフォーマット

ちょっとした遊び

陰陽道研究家の木下先生は時々遊びでこんなtweetをする。

私は乗りやすいので、こう返した。

この引用リツイは、前の安倍泰茂卿の占考文のフォーマットに従っている。このフォーマットは以下の3段から構成されている。

  1. 占った日時と三伝の構成
  2. 課式で着目した部分への解説とその判断
  3. 日付と署名

1の部分も定型があって、

占今日(日干支)時加(占時支)(発用黄道十二神)臨(発用地盤支)為用、将(発用天将)。中、(中伝黄道十二神)(中伝天将)。終、(末伝黄道十二神)(末伝天将)。卦遇(課名)

となっている。黄道十二神は全て支ではなく古名を使う。月将は日付から判断しろということなのか明記されていない。

2の部分は、

推之、

で始まる他は漢文であることを除けば特に決まっていない。今回のでは、

発用に騰蛇という凶将が乗じているけれども、
徳神や禄神の助けがあって、三伝全体で全局の從革になっていて、全体じゃ吉、
悪い課式ではないから祟りじゃないし物忌は必要ない。

ということを書いている。

3の日付と署名だけど、肩書が1つもないのは寂しいので、今後は「工学博士 松岡秀達」で行くつもりだ。
今後も乗って行きたい。

救貧大仙楊公真人

楊筠松

楊筠松は仄聞するところでは水法に優れた人であり、その水法で多くの人を救って救貧先生とよばれたそうだ。風水では『山』は身分に、『水』は財と子孫繁栄に影響を与えるとされる。なので水法で貧乏を助けることができたのだろう。風水では凄く有名な人なので、中国版のWikipedia*1には『楊筠松』の項目があった*2

それによると、筠松は号で、諱が益で字が叔茂だそうだ。時代的には唐末の人で最終的な官位は金紫光禄大夫とされている。金紫光禄大夫は正三品*3なので、れっきとした高級官僚だ。黄巣の乱で都の長安が破壊されたのを切っ掛けに出家*4したそうだ。在官中に学んだ風水の知識を使って、不穏な世相の中で多くの人を助けたことで救貧先生とよばれて、今では救貧大仙楊公真人の名まである。

楊筠松の著作として『天玉経』、『青囊奧語』、『都天宝照経』等が伝わっていて*5、風水の源流の1人だ。そして通書に載っている楊忌ないし楊公忌も楊筠松にちなんだ忌日だ。楊公忌は普通の人にとっては問題の無い日なのだけど、風水師にとっては羅盤を出してはいけない日だ。少なくとも私は陳俊龍先生からそう習った。楊公忌は普通の人には関係ないので、通書によっては記載がないかもしれない。もっとも陳俊龍先生から妙派風水の択日を習った時に指定された蔡進歩堂編纂の通書*6にはちゃんと出ている。

今年の3月13日の下の方に赤で囲ったところに『楊忌』とある。

この 楊筠松の風水を解説した『実証! 風水開祖・楊救貧の帝王風水』が出版されたそうなので注文した。書評を見ると水法を詳しく解説した本ではないみたいだけど楽しみにしている。

*1:維基百科

*2:英語版にもあるらしい。

*3:日本だと正三位か。

*4:仏教じゃなくて道教

*5:誰かが楊筠松に仮託しただけなのかもしれないが、唐の頃の話なのでよくは分からない。

*6:通勝、永經堂と廣經堂の2ヶ所から出版されている。最近はUSAのamazonから購入している。