出雲大社に行ってきた

そんなに遠くない

母が骨折した関係で愛媛の実家での暮らしがメインになっている。ふと思い立って出雲大社まで行ってみることにした。最近はしまなみ海道やまなみ街道があるので、感覚としては関越自動車道で東京から新潟に行くような感じで出雲に行くことができる*1。今回、珍しく伊予インターから松山自動車道に入ったけど、皿ヶ峰連山が重信川が作った河岸段丘だというのが好く解る眺めだった。同じような高さの山が並んで段々高くなっている。

到着した出雲は不思議な感じのする所で、海が近いはずなのに*2周囲を山で囲まれている印象を受ける。三方を山で囲まれているのは確かなのだけど、防風林が多いせいだろうか?

そして出雲大社はとにかく巨大だった。“いずも-おおやしろ”という言い方の方が相応しい感じがする。今回ちょっとした役得があって、本殿に参拝することができたのだけど、周囲を塀で囲われた本殿の境内に入れてもらい入り口が閉じられた時に、スッと雰囲気が変わるのがわかった。参拝前に神職から御払いを受けるのだけど、御払いが終わると、不敬を犯してはならない感じがして背筋が伸びる感じがする。スピな感覚とは無縁な私でさえ圧倒的な御神威を感じた。もう一回くらいは出雲に行くつもりなので、次は何か御祈祷を御願いしようかと思う。

*1:実家からしまなみ海道に出るまでが長かったりする

*2:実際、帰りに山陰自動車道を目指して車を走らせたら、すぐ海の近くに出た。

坤と艮

九宮と十二支

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今朝の『うらない君とうれない君』で大石真行さんが土行の十二長生についての話をしていた。内容的には以前の『水土長生』のエントリで紹介した『季節の持つ力』の講座と同じものだったけど、やはり九宮八卦と十二支を対応させて、土行の八卦との対応で土行は水行に従うとする水土長生と、土行は火行に従うとする火土同根が出てくるのは面白い。

九宮八卦に十二支を割り付けるとこんな感じになる。九宮八卦には土行に属するものが3つもある。坤宮、艮宮、中宮がそれで、二五八のラインを構成している。余談だが、3年毎に二黒と五黄がラインに入ってくることもあり、風水の師匠である陳俊龍先生はこのラインを嫌っている。

閑話休題、十二支は周囲の八宮に対して、四隅は2個、四正には1個割り付けられる。四孟の寅巳申亥は四隅で、長生になるのは四孟に限らるという縛りがある。そこで艮の土をとるか坤の土を取るかで火土同根と水土長生に分かれる。多分だけど、説卦伝の影響で水土長生の方が先に出てきたのではないだろうか。五行易とか納音五行の十二長生では水土長生を取っている。

まぁ坤卦が陰で艮卦が陽であることから、色々考えることはできるだろう。例えば、戊は火土同根で、己は水土長生、とかだ。ついでに陽順陰逆を混ぜたりもできるだろう。もっとも私は土には十二長生は無いんじゃないかと思っているので、六壬で戊己の日には日墓がないことにしている。

先天の福地から

現在、実家暮らし

母が転倒→骨折の関係で、現在、実家で暮らしている。実家のある伊予市郡中エリアは、先天の福地ともいうべき気象災害とは無縁の地で、先の台風15号とか19号の影響もほとんどなかった。懸念があるのは地震だけど、これはもう仕方がないという感じ。もっとも瀬戸内に面しているので津波はまず問題にならない。母がその昔に聞いたところでは「前回の南海地震の時も津波はあったが、旧国道56号線*1を越えることはなかった」との事だった。瀬戸内を囲む山地によって風からは守られ、近くに洪水を起こすような川もなく、崩れるような崖もない。郡中は、まさに先天の福地というべき地区だ。山伏だった祖父は四国の山野を跋渉した結果、郡中は良い所だと言っていたそうな。

私が小学校の頃は夏の断水が風物詩だったけど、ずいぶん前に井戸を掘って断水もあまりなくなった*2

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財務省の手先の日経新聞がこういう記事をかいて、更なる緊縮への観測気球をあげているので、気象災害と無縁の郡中地区への移住を考えてみるのはどうですか?

*1:現在は県道ですらない名もない市道、多分。

*2:なんでも井戸を掘る時に、隣の松前町から「オレんとこの水が減る」とインネン付けられたそうな。

消費税上がった

以前、占ったことがある

昨年の10月に、ふと「本当に、消費税が上がるのだろうか?」という疑問を持ったので六壬に問うてみた。mixiの日記にはこう書いた。

四課が二課三課が空亡で四課が坐空となっている。その四課が発用に立っているので、準斬首というところだろう。
おまけに一課に天空が乗じている。言ってみれば四課皆空、問いそのものが曖昧模糊としているわけだ。

ということで言えるのは、凶の比用課発用子を末伝戌が尅していて吉に転化していること、一課が父母で日干を生じていて吉ということくらいだ。ならば国民にとって凶の増税は回避されるということだろう。

ところが、大した抵抗もなく増税となった。

ということで、mixiの日記を読み返して*1みて見落としに気がついた。
以下の2点、

  • 干上神が墓神
  • 発用が脱気

ということで、増税有り、と読み取るべきだった。まだまだヘボだね。

*1:過去の日記を検索するためだけに有料コースに入った。

拙著の状況

Amazonで爆上げ中

版元の岩田書院様の御厚意で3刷まで出して頂いた拙著『安倍晴明占事略决」詳解』だけど、3刷をもって絶版となった。そのため版元での在庫が無くなった段階で、岩田書院様は拙著についてはAmazonマーケットプレイスからは撤退することになった。

結果、拙著のAmazonマーケットプレイスでの状況はこうだ。このエントリを書いている時点では、軒並み10,000越え。中には定価の10倍の値段の所もある。

鴨書店も在庫切れになったのか、検索しても拙著が出てこない。ただこの状況でも拙著を定価+税で購入できる通販サイトが1箇所残っている。まんだらけ通販さんだ。ここも売切れたら新品は無いと思う。

もっとも岩田書院の岩田社長からは「もし引き取って出版する所があれば、印刷データを提供しますよ。」と言って頂いているので、引き取り先を絶賛募集中。

日本の亀卜

大嘗祭で使用された亀卜

先週の土曜日に大阪、中之島の朝日カルチャーセンターで、大江篤先生による『大嘗祭と亀卜』の講座が開かれたので行ってきた。大嘗祭の亀卜については、5月12日の『龜卜についてダラダラと』のエントリでこんなことを書いた。

ただ大嘗祭絡みの亀卜は、阿伎留神社に伝わった鹿卜とはヒビの入れ方が異なっているようだ。というのは亀卜の道具に『波波迦木(ははかぎ)』が含まれているからだ。波波迦木はウワミズザクラの小枝のことで、NHKの記事では『燃料』となっているけれども、材質が堅いという特性を考えると単なる燃料ではないだろう。つまりウワミズザクラの小枝の先端を燃やした後に炎を消して、燃えさしの火を亀の甲羅に直接に押し当ててヒビを入れたのだと考えられる。勿論、押し当てる場所にはマチガタが切ってある。

この想像は事実とは異なっていた。大嘗祭の亀卜において『波波迦木』は全く熱源としての燃料で、整形して作成した亀甲板全体を焼いてヒビを入れていた。これについては、講義の質問時間で質問させて頂き、丁寧な回答を頂いた。

私は講義の前に、朝廷の神祇官が正式に採用したのが鹿卜ではなく亀卜であったのは何故か?という疑問を持っていたのだけれど、大江先生もそこに疑問を抱いておられたようで、講義全体がその疑問に回答するように組み立てられていたように感じた。

講義の導入部で、弥生時代の日本では鹿卜はありふれたものであったことが出土物からしめされた。鹿卜で使った鹿の骨が数の多寡はあっても日本全土から出土しているとのことだった。一方、亀卜で使った甲羅が出土するのは対馬壱岐、伊豆の3地域のみで、また神祇官で亀卜を担当する卜部もまた対馬壱岐、伊豆の3地域からの出身者に限られている。

こういったことから大江先生は、朝廷の亀卜についての基本方針として、

  • ありふれた鹿卜では国家の大事を占うのに力不足であり、亀卜を正式なものとして採用する。
  • 亀卜に関係する人間を厳選し、式次第を含むノウハウを完全に秘匿する。

が、あったのだろうと結論されている。

さて、私の「波波迦の材質が堅いことから、波波迦は小枝の先端を燃やして火を作って直接に甲羅に押し当ててヒビを入れる*1用途と考えられる。にもかかわらず、甲羅全体を焼く大嘗祭の亀卜で波波迦が使用されているのは何故か?」という質問への大江先生の回答は、

波波迦は『点灼』で使用するのが本来の用途*2だと考えられるが、波波迦は鹿卜・亀卜で使用する熱源としての伝統があり、大嘗祭の亀卜もその伝統の上にたって波波迦を使用したのであろう。

ということだった。

なお、出土する弥生時代の鹿卜で使用された鹿の肩甲骨は、加工の状態が『神伝鹿卜秘事記』に記された鹿の肩甲骨の加工の状態と全く異なっていた。『神伝鹿卜秘事記』では対馬の亀卜が関東に伝わって鹿卜となったとしているので、『神伝鹿卜秘事記』の鹿卜は弥生の鹿卜が受け継がれたものではなくて、些か新しいのではないかという疑問を持ったのだが、大江先生によると鹿卜の伝統が断絶したために江戸時代に国学者達による研究もあったが、今のところ軽々な判断はできないとのことだった。

解りやすくためになる講義だった。大江先生、ありがとうございました。

(やっと9月中にエントリをあげることができた。)

*1:これを『点灼』とよぶそうだ。

*2:実験によると単に押し当てただけではヒビは入らず、押し当てた先端に息を吹きかけて温度をさらに上げてやらないといけないそうだ。

死の宗教

日本も案外、儒教の影響を受けてる

「日本は儒教の影響を受けなかったから中国・朝鮮と違って近代化に成功した」という妄説があるみたいだけど、なんのことはない、日本も儒教の毒はたっぷり回っている。

加地伸行先生の『儒教とは何か』を読めば好く解る。例えば『位牌』、これは周の武王が商(殷)の紂王を討つべく出陣した時に押し立てた文王の木主が原型だ。つまり位牌は儒教起源、そういうことになる。また法事の三回忌を一区切りとするというのも、儒教の『三年の喪』からきている。

普段は気が付いてないだけで、日本もしっかりと儒教圏に組み込まれているわけだ。余談だけど文王の木主は文王の身長に合わせた大きさだったかもしれない。というのが岡崎にある徳川家の菩提寺である大樹寺にある、歴代将軍の位牌は本人の死亡時の身長に合わせてあるという説があるからだ*1

加地先生によれば儒教は葬祭儀礼をコアとする死を扱う呪術宗教という側面を持っている。なので、儒教と風水、特に陰宅風水が結びつくことになんの不思議もない。

三浦國雄先生が『風水講義』を書く時に底本とした『地理人子須知』がまさにそういう本で、儒教による風水の解説書となっている。

*1:本当にそうなら犬公方綱吉はかなりの低身長だ。