京都行補遺

トークショーについてもう少し

前回のエントリ脚注で、

やり過ぎてなければよいがと、終わってから心配した。

と書いたのは、私の「民間陰陽師に暦を提供した存在はどういったものか?」という質問に対して、始に「安倍系ではなく賀茂系に着目しては」という答えが返ってきたので、

  • 簠簋内伝では金神を受け入れているが、金神は文書家から出たもので安倍・賀茂とも否定してたのではなかったか。

と反問してしまったからだ。学会ではなくトークショーだったので、やり過ぎたか?とちょっと心配だった。ただ、

という感想を頂いたのでホッといている。

陰陽師の鎌倉下向

陰陽師が鎌倉に下向して幕府に対して占い師としての立場から答申していたというのは、『吾妻鏡』嘉禄元年十月廿日丁未条にある安倍国道らと珍誉の論争で知ってはいた。私は漠然と朝廷から派遣されたのだと思っていたけれども、鈴木先生によると幕府に雇われていたのだそうだ。しかし論争があったということは、鎌倉幕府陰陽師の意見をそのまま受け入れていたわけではないことでもある。下向した陰陽師は幕府内でどのような位置付けだったのだろう。チャンスがあれば、また質問してみたいところだ。

犬も歩けば

私の場合、目的なしに外出することは無いのだけど、犬も歩けば棒に当たるわけで、こんな店が亀屋清水本店に行く途中にあった。
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『元祖お古乃美焼 壹錢洋食』とある。近代食文化研究会による『お好み焼きの戦前史』を読んでいた*1ので、ちょっと興味をひかれた。元々の一銭洋食は洋食の雰囲気をまとったモドキで、近代食文化研究会は洋食のパロディ料理とよんでいる。多分、本来の一銭洋食よりも現代の『お好み焼き』に近いものが売られているのじゃないかと勝手に想像している。

*1:Kindle Unlimitedに入っているけど購入した。

京都行

京都行決定

11月30日に京都丸善の本店で、斎藤英喜先生鈴木耕太郎先生の子弟対談によるトークショーが開かれるということで、帰宅をその辺りの合わせて出席することにした。テーマは御二人の著作*1の出版のPRを兼ねて牛頭天王信仰について語るということで、非常にそそるものがあったわけだ。祖父が牛頭天王を祀った天王社の御守りをしていた、ということもある。

ただ開始時刻が14時ということで、実家から京都に行くということを考えると前乗りすることになってしまう。そこで以前から京都で行ってみたかった所に行ってみることにした。行きたかった所は2+1ヶ所で、

京都に到着するのが15:30くらいなので、最近の日没の早さを考えると前日に全ては無理かもしれないが、行けるだけ行ってみて感触をつかんでから明日回しと決定した。

11月29日

まずは晴明公墓所。略决の解説本である『安倍晴明「占事略决」詳解』を上梓した以上、当然の訪問先になる。日没には間に合った。晴明公墓所は、嵯峨野の角倉稲荷の裏手にある。

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晴明公墓所

暗くなり始めているので急いで大極殿跡に向かう。JR二条駅から歩いたのだけど、結構遠かった。たどり着いた時は日が暮れていた。大極殿跡というのは平安京の本来の大極殿があった所で、平安京の龍穴がある所だ。もっともこの龍穴は、平安京巨椋池という『水』を無くした結果、枯れてしまったので役にたたない。大極殿跡は公園になっていた。正式には平安宮朝堂院大極殿跡という。

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平安宮朝堂院大極殿

ついで二条駅から地下鉄で四条駅に行き亀屋清水本店を目指した。これも遠かった。着いた時には閉店時刻を回っていたので、明日に再訪ということにした。宿に行く時に京阪電車祇園四条駅の方が圧倒的に近いことが判ったので、明日は京阪電車を使うことにした。

祇園さんは目と鼻の先なので、当然御参りをしてから宿に向かった。

11月30日

京阪電車祇園四条に行き亀屋清水本店を目指す。さすがに人が多い。何か目的でもないと秋の京都はちょっとしんどい*2。お目当ては『清浄歓喜団』という独特のフォルムを持つ揚げた御菓子だ。好みは別れると思うけれども、シナモンがよく効いた皮で餡を包んで、おそらくはゴマ油で揚げてある。私は美味しく感じた。中の餡は多分、日本に伝わった時とは異なっているだろう。今は小豆餡になっている。

で、本番のトークショーだが立ち見でもと思ってカウンターで聞いてみたところキャンセルが出たとのことで非常にラッキーだった。
トークショーは聞いてて楽しく非常に参考になった。斎藤先生から質問の時間を取るからドンドン質問してくれということだったので、調子込んで*32つ程質問させて頂いた。

  • 斎藤先生によれば牛頭天王信仰に民間陰陽師が関わっているとのことだが、その民間陰陽師に暦を提供した存在があったはずで、それを鈴木先生は非官人陰陽師とよんでいるけれども、その非官人陰陽師とはどういった存在なのか?
  • 私の祖父は石鎚の修験者で天王社を御祀りしていたが、牛頭天王信仰の広まりには修験の存在は無視できないのではないか?

に対して以下の回答を頂いた。

  • 朝廷の陰陽道の技術が民間に漏れて行くルートは複数あった。例えば鎌倉に下向していた官人陰陽師から幕府関係者に漏れて行くルート等だ。しかし民間陰陽師の全体像はまだ掴み切れていない。
  • 修験が牛頭天王信仰の布教の一翼を担ったのは確実だが、そもそも修験についての研究がまだまだこれからである。

ということで、両先生の今後の研究には注目したい、どんどん面白くなってきそうだ。

トークショーの後にサイン会があったので持参した二冊*4にサインして頂いた。少し時間があったので、斎藤先生に泰山府君祭について質問してみた。

  • 斎藤先生によれば硯と筆が泰山府君祭のマストアイテムだが、泣不動縁起の泰山府君祭とされている場面には硯も筆も出てこない。斎藤先生の見解を聞かせて頂けないか。

に対して、

  • 泣不動縁起は仏教の強い影響下で成立したもので、泣不動縁起の絵は本来の陰陽道の祭式から変質してしまったものを描いたのだろう。

との回答を頂くことができた。

京都行の目的を全て達成することができ非常にラッキーだった。

*1:増補 いざなぎ流 祭文と儀礼』と『牛頭天王信仰の中世

*2:着物姿の人も多い。着物の貸し出しをしている店が幾つもあるようだ。

*3:やり過ぎてなければよいがと、終わってから心配した。

*4:丸善さん御免なさい。Amazonで買いました。

日の基準、日の境界

昨日は小雪だった

朝からTVが「今日は小雪」と言い続けていた。私は「ほう、そうかい。時刻は?」と調べて少し驚いた。なんと23:59(JST)ときたもんだ。ほとんど次の日じゃないですか。これが日の「境界は子刻の始まりだ」という説を採用している人なら「小雪は23日です」と主張するだろう。午前0時を日の基準点に取るとするなら。やはり小雪の時刻は23日に近い。もっとも日の基準点を正午とするなら、やはり小雪は22日ということになる。

ところで二十四節気の節入りの瞬間は世界で共有されているので、各地方標準時に対して時差はないのだけど、日の境界、日の基準点には地方標準時に対しての時差がある。なので今年の小雪の場合、時差が+1分以上のエリアでは地方時では小雪の瞬間は午前0時を回っているわけで、大雑把に大阪以東では小雪は23日ということになる。

この二十四節気は時差がないけど、日の境界、日の基準点には時差があるとか、そもそも日の境界、日の基準点をどの時刻でとるかとかは、九星暦とか遁甲暦を作る時に結構問題になる。私は今の所、自信をもって「これが正解」と言えるような見解を持っていない。

また出雲に行ってきた

仕事だと出向く方が性に合ってる

紫微斗数では官禄宮に天馬があり、私の場合は仕事とか自己実現方面では自分から出向く方が性に合っている。再度、出雲に出張講義に行ってきた。どうも車の運転は好きらしい。今回は途中寄り道をして府中市*1木下先生を訪ねて、陰陽道研究の最前線について色々話を聞かせてもらった。私の感覚では「平安時代摂関期に確立した陰陽道*2は、仏教と並ぶ勢力を持ち貴族の生活に強い影響力を発揮した」という見解が主流ではないかと思うのだが、木下先生はこの見解に強い疑問を持っている。

  • 歴史や先例に詳しい文章家から陰陽道による決定に対して異論が出ることがままある。
  • 密教陰陽道の技術を取り込んで、禁止されていた占い方面に進出してきている。
  • 摂関期には堂上家の意向に逆らうだけの見解を陰陽道は確立できていなかったようだ。逆に陰陽師堂上家に振り回されていたのではないか。

といった感じだ。これらの疑問から、

  • 陰陽師は歴史や先例に詳しい文章家から、占いの技術者として生み出されたのではないか?
  • 賀茂保憲の『暦林』や安倍晴明の『占事略决』は、定説が確立していなかった陰陽道に対して、スタンダードを提供するというのが、執筆動機にあったのではないか?

という派生した疑問も持っている。木下先生は何度も名田庄にも調査に行っていて、天社神道の藤田庁長からも信頼されていると聞く。

今回、お土産に天社土御門神道本庁陰陽道部編の運勢暦を頂戴した。表紙に鎮宅霊符神が描かれているのが特徴で、この表紙の運勢暦は名田庄でしか入手できないそうだ。ただ暦の元締めであった土御門の流れだけあって、暦のデータを購入して自分の所で出版している所はそれなりにあるそうだ。

鎮宅霊符神には玄武と剣のモチーフが必ずある。これは以前発見された銅板の鎮宅霊符でも同様で、神像はないが玄武と剣が描かれている。玄武は北の守護神で剣は北斗七星をあらわしている。

つまり鎮宅霊符神は北極星を神格化した神で、玄天上帝をオリジンとしているということになる。玄天上帝も北斗七星である剣を持っている。ということで、鎮宅霊符神を仏教が取り込んで尊格化すると妙見菩薩ということになる。妙見菩薩が菩薩であって明王でないにも関わらず剣を持っているのは特徴的だ。

余談だけど出雲に行ったついでに祈祷を御願いしてきた。前回の出雲行で大国大神の御神威に感応する事が判ったので、御願い事をしてみる気になったわけだ。ちょっと祈祷料を奮発したところ写真のような立派な木箱を授与して頂いた。多分中に御札か何か入っているのだろう。
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*1:広島県府中市

*2:官庁としての機関の名称ではなくて占い等の技術体系の総称、あるいは技術者である陰陽師の集団の呼称。

錬金の術

内丹と外丹

多分、錬金術は一般的には卑金属から黄金を作り出すことを目指した科学以前の混沌と理解されていると思う。しかしながらこれは中国的な表現を使うなら『外丹』の側面だけを見ての評価だ。実際には『外丹』と『内丹』がセットになって錬金術を構成している。『内丹』は瞑想その他による精神面の変容を目的にしている。錬金術は時代を経て元が混沌だったものが更に混沌としてくる。外丹派と内丹派に分かれて、どっちが本来の錬金術なんだ、みたいなことになっていたりする。

しかし本来の錬金術が『外丹』と『内丹』がセットになっているというのは『虚空蔵求聞持法』においてよく保存されている。『虚空蔵求聞持法』では作法に従って虚空蔵菩薩真言を百日間かけて百万回唱えるのだが、続きがあって修行者は真言を唱え終わった後に、発酵バターをかき混ぜることになっている。そのとき成道の度合いによって、上品、中品、下品の反応が現れるとされている。

  • 上品では火柱が立つ。
  • 中品では煙が立ちあがる。
  • 下品では雲気が立つ。

この反応が出た時、かき混ぜた発酵バターを舐めることで虚空蔵菩薩の智恵や知識、記憶力が得られるとされている。つまり『虚空蔵求聞持法』は真言を唱えるという内丹と、変容した発酵バターという外丹の両方を同時に完成させることによって成立している*1。西洋の錬金術は外丹の部分が取り上げられることが多いけれども、内丹の要素だってちゃんとあって、それがC. G. ユングの『心理学と錬金術 I』、『心理学と錬金術 II』に結実している。

自己の精神にコンタクトする内丹法は、やはり文章だけでは説明しきれない『不立文字』の部分があり絵がよく使用されている。錬金術に係わる絵でよく用いられるモチーフの一つに『聖なる結婚』がある。

右の絵はWikimediaから借りてきた伏羲と女媧の絵で、下半身が蛇体で絡み合っているところが既に『聖なる結婚』だけれども、この絵はもっと強く『聖なる結婚』を描いている。御互いの上半身の辺りを拡大してみると、それが好く解る。

向かって左側は頬紅をつけている。つまりこちらが女神である女媧ということになる。向かって右側は判り辛いけれども口の周辺に髯をたくわえている。こちらが男神の伏羲だ。

ここで御互いの持ち物を見てみると、女媧はブン回しであるコンパスを、伏羲は曲尺を持っている。コンパスは円を描く道具で、曲尺は四角を描く道具だ。中国では天円地方といって天は丸く地は四角い。そして男神は天、女神は地をあらわしている。つまりこの絵では御互いに道具を交換している。つまりこれも『聖なる結婚』の表現だ。

男と女、天と地、火と水といった相対する存在の『完全な統合』は錬金術の目指すところで、それを『聖なる結婚』として画像によって表現している。これは西洋でも共通していて『聖なる結婚』を表現した画像は『心理学と錬金術』にも幾つも引用されているし、錬金術に関する画像を集めた『錬金術: 精神変容の秘術 (新版イメージの博物誌)』にも沢山出てくる。
このように錬金術の表現が東西で共通しているのは、同じルーツを持つためなのか、東西交流の結果なのか、はたまたユングがいう集合的無意識のなせる業なのだろうか。

*1:この話をしてくれた圓寂坊の御師さんは、更に進んで釈迦族の周辺で錬金術が生まれて東西に伝搬したのではないか、と推測している。もしそうなら御釈迦さんは内丹派のニューウェイブといえるだろう。

簠簋内伝

三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集

普通は『簠簋内伝』や文字の関係で『ホキ内伝』とよばれているけれども、正式名称はこのように長たらしい。まぁ『宿曜経』も本来は『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』と非常に長たらしいので、『簠簋内伝』が特別というわけではないけど。この長い正式名称は当然それなりの意味を持っている。

最初の4文字の『三国相伝』はインド、中国から日本に伝わったものであるという宣言になっている。続く4文字の『陰陽輨轄』は占いないし暦を扱っているという意味だ。陰陽には“うら”の訓がありで占術を意味している。そして『簠簋内伝』の部分だけど、『簠(ホ)』も『簋(キ)』も儀式において食物を盛るための食器で『簠(ホ)』は四角く『簋(キ)』は丸い。商(殷)や周の時代に作られた青銅器の『簠(ホ)』や『簋(キ)』が伝わっている。WIkimediaにある写真をあげておく。

簠(ホ)
器と同型のフタをかぶせた状態
簋(キ)

中国では天円地方、つまり天は丸く地は四角いと考えられていた。四角い『簠(ホ)』は地への、丸い『簋(キ)』は天への供物を盛る器であったのだろう。ということで『簠簋(ホキ)』で天地を意味している。『簠簋内伝』で、天地の秘密の伝承といったところだろう。

最後の『金烏玉兎集』だけど、『金烏』は太陽を表す三足のカラスで、『玉兎』は月のウサギなので日月を表している。つまりここでも陰陽=占術もしくは暦の書であることをしめしている。全体を通して、インド、中国から伝わった占術ないし暦の書、というのが表題の意味だろう。実際、『簠簋内伝』は暦注の解説書となっている。

ところが巻一の冒頭に『牛頭天王』の霊験譚が出てくる。牛頭天王は中世日本に出現した神とも仏ともつかない信仰対象で、行疫神、暦神など多くの性格の重合体となっている。茅の輪くぐりで厄払いというのも牛頭天王説話が元になっている。

鈴木耕太郎著の『牛頭天王信仰の中世』によると、資料で確認できる牛頭天王の初出は平安末期に成立した『本朝世紀』の久安四年(1148年)の三月廿九日条なので、簠簋内伝の著者に仮託された安倍晴明の時代からは少々離れすぎだ*1

元々は行疫神であった牛頭天王がどのような過程を経て暦神としての性格を持ち、陰陽道に取り込まれていったのかは『牛頭天王信仰の中世』で解説されているけれども未だに腑に落ちるところまでは行っていない。11月30日のトークショーが楽しみだ。

山伏だった祖父は牛頭天王*2を祀った天王社*3と、それとセットになった千手観音が本尊の御堂の御守りをしていた。

祖父とは一面識もないけど、私が法師陰陽師の子孫を自称してもそんなに外れてはいないだろう。五十歩百歩だろうけど、有名な自称陰陽師と比べれば向こうが百歩で私が五十歩だろうwwww

*1:晴明の没年は1005年とされている。

*2:石鎚三十六王子

*3:父は“おてんのんさん”とよんでいる。子供の頃、どうしようもなくなった時に願い事をすると叶わなかったことがなかったそうだ。

口先ドラゴンの戯言

千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ

これは八極拳と六合大槍で有名な李書文の言葉だそうだけど、私を含めた『拳児』の愛読者は同書に出てくる尚雲祥のエピソードと相まって『一招熟する』を誤解しているかもしれない。その尚雲祥のエピソードというのは、

有名な形意拳の李存義に入門した尚雲祥だけど、不器用な尚雲祥は最初の劈拳を覚えることができなかった。李存義は仕方なく尚雲祥に簡単な動作のみの崩拳を教えた。そして尚雲祥は3年間黙々と崩拳だけを修練して、師を驚かせるほどの功夫を身につけた。

というものだ*1。私は「一つの技だけを愚直に修練すれば、その技だけで勝てるようになる」と誤解してしまったわけだけど、別の分野の似たような言葉と合わせれば、そんな単純なものではないことが解る。その別の分野というのは『奇術』だ。時たま話題にだすマジェイアの魔法都市のサイトには『あなたはいくつマジックを知っているのですか?』というコラムがある。そこには以下の記述がある。

いつでも、どこでも、どのような条件の下でも演じる自信のあるトリックを数種類持っていたら、何も困ることはありません。

つまり『一招熟する』というのは、

いつでも、どこでも、どのような体勢の下でもキメる自信のある一招を身につける。

ということだろう。それができたら確かに達人だ。

武術ついでに占術の話をするなら、徒手武術と兵器術が相まって武術が完成されるように、短時間が中心の卜占と、一生という長時間を相手にする命術は両方学んだ方がよいだろう。それもできたら西洋占星術とTarotのような組み合わせじゃなくて、技法の原理が共通しているホラリーとネイタルや六壬四柱推命みたいな組み合わせが望ましいだろう。

*1:真っ赤な嘘で、六壬でいえば天地盤が作れない人間が四課の出し方を教わって六壬の達人になった、みたいなものらしい。