奇門遁甲と紫白九星の融合

八門と紫白九星

木下琢啓先生から水野杏紀『江戸末期の土御門家と陰陽書出版について』を教えてもらった御蔭で日本の九星術、つまり紫白九星を使って命占や卜占を行い移動による開運法まで含む術、はおそらくは土御門晴親を中心に斉政館門人達によって作られてものだろうという推測が出来上がった。

この九星術は白井為賀が書いた『陰陽方位便覧』で市中に広まったけれども、慶應元年(1865)に出版されたこの陰陽方位便覧の前に『齊政館蔵版』の『陰陽方位便覧』が文化十一年(1814)に出版されている。木下先生が『齊政館蔵版陰陽方位便覧』の美本を入手されて、その1部が twitter(X) にアップされていた。

.翻刻するとこんな感じだ*1。適宜、改行と句読点を加えた。

三元九星
五要奇書(ごようきしょ)(いはく)三元九星(さんげんきゅうせい)紫白(しはく)(もつ)(きち)とす(その)(もと)黄帝遁甲經(くわうていとんこうきよう)にはじまる。
八門(はちもん)(うち)(きゅう)(せい)(けい)(かい)とす(ゆへ)九星(きゆうせい)(うち)一白(いつはく)六白(ろくはく)八白(はつはく)九紫(きゆうし)(きち)とす。
一白(いつはく)
二黒(にこく)
三碧(さんへき)
四緑(しりよく)
五黄(ごをう)
六白(ろくはく)
七赤(しちせき)
八白(はちはく)
九紫(きゆうし)
一白(いつはく)(きた)(みず)二黒(にこく)(ひつじさる)(つち)三碧(さんへき)(ひがし)()四緑(しりよく)(たつみ)()五黄(ごをう)(ちう)(つち)六白(ろくはく)(いぬい)(かね)七赤(しちせき)(にし)(かね)八白(はちはく)(うしとら)(つち)九紫(きゆうし)(みなみ)()、を(つかさど)るなり。
上元(じやうげんく)一白(いつはく)甲子(きのえね)(おこ)す。中元(ちうげんく)四緑(しりよく)下元(げげんく)七赤(しちせき)甲子(きのえね)(おこ)順飛(じゆんひ)するなり。
(をよそ)修造(しゆぞう)方向(ほうむき)大将軍(だいしやうぐん)金神(こんじん)(とう)凶煞(きようさつ)臨坐(りんざ)大凶(だいきやう)なりといへども、紫白(しはく)吉星(きつせい)巡重(めぐりかさな)れバ(さまたげ)なし。
(また)拾芥抄(しふかいせう)陰陽権介(おんようごんのすけ)安佶晴道(あべはれみち)(いわく)大将軍(だいしやうぐん)金神七殺(こんじんしちさつ)(ほう)(こと)三白九紫(さんはくきゆうし)(ほう)(あた)(とき)(いみ)なしといへり。
本邦(???)にても古昔(むかし)より紫白吉星(しはくきちせい)(もちゐ)

という感じで、八門の吉凶を使って紫白九星の吉凶を説明している。これは現代中国の「八八発財、六六大通」と通底しているだろう。土御門晴親と斉政館門人は奇門遁甲を理解していたと考えて良いと思う。少し想像を逞しくするなら、本命九星で紫白でも使うことができない星があるように、本命九星によって使えない八門がある可能性がある。

例えば筆者は七赤の生まれなので、尅してくる九紫や洩らす一白は使えないことになる。そして使うなら八白になる。

*1:読めてない部分がある。