奇門遁甲の局数
立夏:四、一、七 小満:五、二、八 芒種:六、三、九 巽宮(四) |
夏至:九、三、六 小暑:八、二、五 大暑:七、一、四 離宮(九) |
立秋:二、五、八 処暑:一、四、七 白露:九、三、六 坤宮(二) |
春分:三、九、六 清明:四、一、七 穀雨:五、二、八 震宮(三) |
中宮(五) |
秋分:七、一、四 寒露:六、九、三 霜降:五、八、二 兌宮(七) |
立春:八、五、二 雨水:九、六、三 啓蟄:一、七、四 艮宮(八) |
冬至:一、七、四 小寒:二、八、五 大寒:三、九、六 坎宮(一) |
立冬:六、九、三 小雪:五、八、二 大雪:四、七、一 乾宮(六) |
奇門遁甲では八卦九宮の周囲八宮に二十四節気を割り付ける。 なので、1宮に3つの節気が入る。
各節気の上元の局数はその宮に配当されている洛書の魔方陣の数に従う。夏至から大雪が陰局、冬至から芒種が陽局になる。
例えば左上隅の巽宮には、立夏、小満、芒種の節気が割り付けられていて、一番最初の立夏上元は巽宮の数四と陽局ということから陽四局となる。節気で立夏の次の小満は上元が四から1進めた陽五局になる。同様に芒種上元は陽六局となる。
中元は陽局なので上元から干支の総数である60進めたものになる。局数は9のサイクルなので6進めることになる。立夏上元が陽四局なので、立夏中元は四から6進めて陽一局、立夏下元は同様に陽七局ということになる。
他にも右側中央の兌宮だと、秋分、寒露、霜降が割り付けられる。兌宮は洛書の魔方陣の数が七なので、最初の秋分上元は陰七局、寒露上元は陰六局、霜降上元は陰五局となる。陰局なので数が減る方向になる。同様に中元は秋分上元が陰七局なので、中元は上元から60つまり6戻るので陰一局、下元は陰四局になる。
このやり方で結果的に面白いのが、各宮で陰陽は別だけれども必ず一から九までの局が全て出現するということだ。
そしてもう一つ、陰局から陽局への転換で、大雪陰四、七、一から冬至陽一、七、四という綺麗な踏み換えが出現するということがある。これは陽局から陰局への転換でも同様で芒種陽六、三、九から夏至陰九、三、六となっている。
日本の日家九星
日本の日家九星の配当方法は、江戸末期に出版された白井為賀の『陰陽方位便覧』の方法が今でも採用されている。『陰陽方位便覧』では以下のように書かれている*1。
陽遁ノ局星ハ冬至後ノ甲子ノ日ヨリ起コスヲ以テ例トスレトモ、年ニヨリ冬至後ニ甲子ノ日ナクカヘツテ大雪十五日ノ間ニアルトキハ、是イマタ冬至ノ気ニ及ハストイヘドモ既ニ十一月ノ節ニ入タレハ則コノ甲子ノ日ヲモツテ陽遁の局星ヲ起コスベシ。
モシ又甲子ノ日十一月ノ節ヲハツレテ十月ノ内ニアルトキハ是陰遁ノ時節ナルユヘイマタ陽遁ノ起例ヲ旋スヘカラス。
此時ハ後ニシルセル閏奇ノ法ヲ用ヒテ平均スベシ。陰遁ノ局星ハ夏至後ノ甲子ノ日ヨリ起コスヲ以テ例トスレトモ、年ニヨリ夏至後ニ甲子ノ日ナクカヘツテ芒種十五日ノ間ニアルトキハ是イマタ冬至ノ気ニ及ハストイヘドモ、既ニ五月ノ節ニ入タレハ則コノ甲子ノ日ヲモツテ陰遁の局星ヲ起コスベシ。
モシ又甲子ノ日五月ノ節ヲハツレテ四月ノ内ニアルトキハ是陽遁ノ時節ナルユヘイマタ陰遁ノ起例ヲ施スヘカラス。
此時ハ後ニシルセル奇ノ法ヲ起コシ用ユベシ。
句読点と開業は筆者が付加した。基本、陰遁陽遁の入れ替えは、
- 二至の後の甲子で行う。
- 二至の節気の間に甲子がなく、その前の節気に甲子がある場合は、その甲子で行う。
- 二至を含む節月中に甲子がない場合は閏を置く。
で行う。この節気*2と干支の組み合わせの御蔭で、奇門遁甲の遁局と同じように陰遁と陽遁の切り替えで陽遁一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫から、陰遁九紫、八白、七赤、六白、五黄、四緑、三碧、二黒、一白の踏み換えや、陰遁九紫、八白、七赤、六白、五黄、四緑、三碧、二黒、一白から陽遁一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫への踏み換えが発生する。この踏み換えは閏を入れた時でも甲午日の三碧や七赤の前後で同じように発生する。
陰遁開始が九紫から始まるのは当然のように夏至が離宮に割り付けられているからだし、陽遁開始が一白から始まるのは同じく冬至が坎宮に割り付けられているからだ。
なのでこの日家九星は奇門遁甲に近いものがあると感じていた。
で白井為賀の『陰陽方位便覧』の閏の置き方の解説*3を読んだらひっくり返るくらい驚いた。
右閏奇ノ起例ハ奇門家ノ閏奇接気ノ法ニ倣ヒ余ガ發明スル所ニシテ
つまりこの日家九星の置閏法は、白井為賀が奇門遁甲の超神接気を参考に作り上げたものだった。
透派奇門遁甲の立向日盤の遁局は白井為賀の『陰陽方位便覧』の日家九星と同じなので、昔、黒門さんが「透派遁甲の日盤の八門は験がある」と言ってたのは、日家九星が奇門遁甲の遁局を参考に作られたものだったので当たり前といえば当たり前なわけだ。そして白井為賀の発想とその後の思考の道筋が正しかったということでもある。
なおこの白井為賀の『陰陽方位便覧』は天保改暦の後に書かれたもので、定気二十四節気を想定していて、夏至の当日や前後1日が甲午である必要がないように作られている。
*1:国立国会図書館デジタルコレクションの『陰陽方位便覧 (上36丁) 訂補版』中33コマと34コマ
*2:と言っても二至だけど。
*3:国立国会図書館デジタルコレクションの『陰陽方位便覧 (上36丁) 訂補版』中36コマ