平妖伝の思い出

三遂平妖伝

沈括の『夢渓筆談』を読んでいると馴染みのある元号や人物がよく出てくる。馴染みのある元号というのは『景佑』で、この時代には三式について欽定のテキストが出版されている。つまり『景佑六壬神定経』、『景佑遁甲符応経』と『景佑太乙福応経』だ。残念ながらこれらは完全な形では残っていない。しかし欽定の三式のテキストを刊行した北宋の仁宗は、よっぽど式占が好きだったのだろうと思う。

人物でいうと私の記憶を刺激するのが文彦博(ぶん-げんはく)と包拯(ほう-じょう)だ。この二人は、仁宗の時代にあった貝州での王則の反乱と鎮圧を基に作られた『三遂平妖伝』に鎮圧側として登場してくる。実際にも文彦博は宣撫使として貝州鎮圧の戦いを指揮している。『三遂平妖伝』おいて包拯は包龍図(ほう-りゅうと)と呼ばれており、枢密使として文彦博を鎮圧軍の総指揮官に推薦している。

『三遂平妖伝』には羅貫中が編纂した20回本の『三遂平妖伝』と馮夢竜による40回本『三遂北宋平妖伝』等がある。馮夢竜の『三遂北宋平妖伝』は、太田辰夫訳で平凡社から出ている『中国古典文学大系』の36に入っている。タイトルは『平妖伝』だ。この『平妖伝』は私が初めて五行の相生相剋に触れた作品で思い出が深い。タイトルに『妖』の字が入っているのは、『平妖伝』では反乱を起こした王則側に多数の妖術使いが参加していたことになっているからだ。それとこの本で『妖術』に『金剛邪禅法』という中二心をくすぐる別名があるのを知った。

包拯は清廉潔白な人物として有名で、その業績は死後伝説化している。北宋の首都開封の知事であった時代に数々の名裁判を行ったとして『包青天*1』のタイトルでTVドラマが作られた。なんか大岡越前みたいな感じだけど、どっちかと言うと『大岡政談』の方が包拯の『包公故事』の影響を受けているらしい。

*1:“Justice Pao”や“Judge Bao”のタイトルの英語版もある。