とある占いの禁書目録

東アジア恠異学会第132回定例研究会

昨日、ZOOMで開かれた『東アジア恠異学会第132回定例研究会』に参加させて頂いた。
金沢学院大学、佐々木聡先生の「前近代中国の基層社会における災異受容と通俗信仰」の発表で、

天文が関わる占書の多くが禁書になっている。

ということだったので、北宋仁宗が編纂させた欽定の三式の占書の扱いに興味がわいたので質問させて頂いた。

先生がせっかく元朝*1禁書目録を提示して下さったのに、その時はCOVID-19のワクチン接種*2で中座していたので、応答できなくて申し訳ありませんでした。もっとも戻ってきてから、予防接種で中座していたことを申告した所、再度、禁書目録を提示して下さった。先生と他の参加者の皆さんの寛容に感謝します。

で、禁書目録を見ての第一感は、

太乙雷公式を含めて『太乙〇〇』という表題の書籍が多い。

ということだった。これまで太乙雷公式は太乙式と雷公式の総称と考えていたがそうではなく、太乙雷公式が太乙式盤を使った雷公式による調伏法であったことをしめしていると考えられる。他の『太乙〇〇』も同様に、太乙式盤を使った呪術だったのではないだろうか。

金沢文庫の西岡先生によれば『雷公式』は六壬式盤を使った調伏法であったということだが、どうやら太乙式盤を使った雷公式も存在していて、こちらは完全に失われた技術ということになる。もっとも永楽大典の記述を頼りに復元は可能ではないかと推測している。
平将門の調伏のために修された太乙雷公式も太乙式盤を使った雷公式による調伏だったのだろう*3

第二感として、

禁書目録の中に『景祐占』がある。

北宋仁宗による欽定の式占書は、

  • 景祐六壬神定経
  • 景祐遁甲符応経
  • 景祐太乙福応経

と全て元号の『景祐』を冠している。おそらく『景祐占』はこの3つの書籍の総称だろうと推測している。
つまり欽定の三式占書は禁書だったということだ。

後、このエントリを書いていて思ったのが、

七曜暦もまた天文に関わっていたので禁書だったのではないだろうか?

だった。七曜暦は起点となる日付さえ正しければ、土日月火水木金のサイクルで回るだけのもので、禁書にする意味が薄いと考えていたのだけど、この七曜のサイクルは占星術でのアワールーラーの割り付けから生まれているので天文に関係している。以前は漠然と軍事絡みかと思っていたが、天文関係は総じて禁書ということで七曜暦もそれに含まれたのではないだろうか。

なお、ロゴは『とあるさくらのジェネレータ』で作成した。

*1:だったと記憶している。

*2:1回目。今の所、副反応として腕に痛みがある程度。

*3:では『雷公式』のコアは何だったのだろうという疑問が湧いてくる。