独特な返吟課

陰陽道の三伝

小坂眞二先生は、陰陽道で使用されていた六壬の三伝の復元という困難な作業をなし遂げられた*1のだが、現代の六壬の三伝と小坂先生が復元された陰陽道の三伝で一番変化が大きいのが『返吟課』だ。現代の六壬では賊剋がある場合は、中伝は初伝から照上で出し、末伝も中伝から照上で出す。結果的に賊剋のある返吟課である無依課は、中伝は初伝の冲、末伝は中伝の冲となって末伝は初伝と同じになる。初伝と末伝が同じになるので、返吟無依課は『元の木阿弥』の意味が付与されることになる。

ところが唐の時代には、返吟課と伏吟課を同等に扱うべきという考え方があった。伏吟課と同等というのは、基本的には三伝が同じにならないように三伝を取るということだ*2。中国唐の時代に編纂された李筌の『太白陰経』巻九にある『玄女式』では返吟課の三伝は以下のように取るとされている。

反吟、剛干、以干上神為用、柔干、以支上神為用。
反吟、剛干、以干衝、柔日、以辰衝為用。
以刑及衝用為傳終。(句読点は引用者がふり直した)

太白陰経では、陽の日は干上神を、陰の日は支上神を初伝発用として、中伝、末伝は刑で回して行くという中末については伏吟課と同じ中末の取り方を採用している。

で、陰陽道の三伝での返吟課について生徒さんから質問をもらったので遅まきながら調べてみた。陰陽道の三伝で標準的な返吟課の三伝の取り方は、中伝は初伝の冲、末伝は中伝から順に数えて4つ目ということになる。つまり中伝が亥なら末伝は寅、中伝が子なら末伝は卯、中伝が申なら末伝は亥といった感じだ。これは無依課の多くの場合に適用されている。

例外となるのが賊剋のない無親課と、賊剋があるものの初伝が土の支となる場合の言ってみれば准無親課の場合だ。まず准無親課となるのが、乙丑、乙未、癸丑、癸未の4日の場合だ。三伝はこうなる。

日干支
乙丑
乙未
癸丑
癸未

発用初伝は賊剋ある第一課となっていて、中伝は照上で初伝の冲となっている。しかし末伝は中伝が丑なら末伝は辰、中伝が辰なら末伝は丑となっていて、この准無親課の場合だけ末伝は中伝の4つ目とは異なっている。

無親課の場合はもっと例外的となっている。無親課となるのは、丁丑、丁未、己丑、己未、辛丑、辛未の6日の場合だ。こうなっている。

日干支
丁丑
己丑
辛丑
丁未
己未
辛未

初伝は現代の無親課と同じく日支の駅馬を取っているものの、中伝、末伝の取り方が判らない程に独特だ。日干寄宮と日支が同じの五重日の丁未と己未の場合は、五重日の独特な三伝の取り方である八専課と同じく中伝、末伝とも第一課となっているのは辛うじて判るけれども、他の場合は四課のどこにもない寅や申が出てくる。初伝の4つ目を中伝として、末伝は中伝の冲という感じだろうか。この例外の独特さが陰陽道の三伝法が廃れた理由の1つではないだろうか?

クライアントと向かい合う時

畏友、大石真行さんは「占い師はクライアントにとっての一番親切な他人であれ。」と常々言っている。『他人』であること、つまりクライアント*3と一体化してはいけないということだ。クライアントの為を思うとしても、他人としての冷静な分析がないと占った結果を間違って読み取ってしまう、そういうことだと私は理解している。

もう一人の畏友である玄珠さんは最近のmixi日記の『占い者・芝居者*4のエントリで、「占法家とは易神でもアポロンでも何でもよいけど未来を告げる超越者に対して問占者-つまり依頼主を演じる芝居者である。」としている。玄珠さんもまた『離見の見』としてクライアントと心的距離を詰めすぎることを戒めている。

どちらにしても占い師は、可能な限りクライアントの現状を正しく知る必要があるということだ。そしてその上で心を正しくして問えば、正しい答えを出してくれるというわけだ。読み取り難い場合もあるけど、ね……

こういうことを考えていると、クライアントと占い師が対等かどうかなんて非常に瑣末な問題に思う。高橋桐矢さんが『占い師とお客様は対等じゃないと思う理由』というエントリをアメブロにあげていたけれども、そんなことに悩むよりも考えるべきことがあるのではないだろうか。

*1:以下の文献で公開されている。
小坂眞二「陰陽道六壬式占について(上)」、古代文化38巻313-323頁(1985)
小坂眞二「陰陽道六壬式占について(中)」、古代文化38巻362-373頁(1985)
小坂眞二「陰陽道六壬式占について(下)」、古代文化38巻415-426頁(1985)

*2:後述するように例外はある。

*3:お客、依頼人、まぁ何だって同じことだ。

*4:このエントリは友人までの限定なので読みたい方はmixiで玄珠さんと友達になって下さい。