『陰陽道』が指すもの

前回のエントリで、

陰陽五行に基づいた方術としての呼称ではなく、国家機関の名称としての『陰陽道』だったというわけだ。

について、高橋圭也さんから以下のような指摘をもらった。

 まず、村山修一先生が著書で述べている「中国の陰陽道」という形のものはなく、つまり、中国や朝鮮半島陰陽道なる語が使われた形跡は全然ないのです。

 これは歴史読本の11月号に寄稿した拙文の「陰陽道と都の鬼」でも述べた通り、9〜10世紀頃に我が国の陰陽寮を中心として出来た独自の言葉です。

何にせよ『陰陽道』は日本独自の用語であることは間違いないだろう。しかしながら『陰陽師』については、私の理解はまだ中途半端なものだったらしい。高橋さんから以下の指摘を受けた。

 また、最初は「陰陽師」も陰陽道部門に属する人間たちを対象にしていましたが、そのうちに皇室祭祀を中心にしていた神祇官の卜部の祭祀の補助くらいしかしていなかった陰陽寮が次第に祭祀活動を活発化させはじめ、と同時に律令制の崩れもあって公的な活動以外の有力貴族の私的な占いや祓いを陰陽道が請け負うようになりました。ですが、下級官吏の陰陽道の人間にはあまりにも多いご褒美の多さと政治的な優遇処置を受けられるので、他の三道部門(天文・暦道・漏刻)の人間たちも六壬式占を学び、祓いの活動を始めたのです。

 それゆえ、陰陽寮に属して陰陽、つまり六壬式占を使い、祓いをする人間全員を「陰陽師」と呼ぶようになったのです。

 ですから、「昔、天文博士安倍晴明という陰陽師有りけり」という一見矛盾した表現も昔は何の抵抗もなく受け入れられていたわけです。

つまり少なくとも平安−鎌倉期においては、陰陽寮に属していて六壬を使い、御払いをする。この3つの条件を満たす者、それが『陰陽師』であったというわけだ。