実は六壬でも

中島多加仁さんによるWebからの椎羅さんの『紫微斗数入門*1』への著作権侵害は未だに続けられているわけだが、実は他にも同じような例がある。以前中島さんがWebで書いていた六壬の解説を読んでアレっと思ったことがある。Wikipediaの六壬の項目の解説文に良く似ているのだ。

実はWikipedia六壬神課の項目は私が立てたものなので、文章にはナジミがあって当たり前なわけだ。Wikipediaはフリーの百科事典を目指しているが、著作権を放棄しているわけではない。いつもの様に比較してみる。一目瞭然というやつだ。比較に使用したWikipediaの記事は、直近の記事ではなく中島さんが書いたものに近い『2008年11月16日 (日) 12:27; Hokuto-hei (会話 | 投稿記録) による版』を使用した。

Wikipedia 中島サイト

時刻から天文についての情報を取り出すとき、式盤と呼ばれる簡易な器具を使用することがある。

かつては、時刻から天文についての情報を取り出すとき、式盤と呼ばれる具を使用していました。

式占で使用する式盤は、天盤と呼ばれる円形の盤と地盤と呼ばれる方形の盤を組み合わせたもので、円形の天盤が回転する構造となっている。

式盤は、天盤と呼ばれる円形の盤と地盤と呼ばれる盤を組み合わせたもので、地盤は動かず、天盤が回転する構造となっています。

六壬神課の式盤では、地盤に十干十二支四つの門二十八宿などが、天盤には西洋占星術黄道十二宮と対応する十二神、十二天将などが記載されている。

天盤や地盤には「十干」「十二支」「十二天将」「四つの門」そして「二十八宿などが刻まれています。

このような式盤を使用する占術である式占には他に、太乙神数奇門遁甲があり六壬神課と合わせて三式と総称されている。

このような式盤を使用する占術である式占には他に、太乙神数とか奇門遁甲があります。六壬神課奇門遁甲、太乙神数を「三式」と呼びます(さらに雷公式を加えて四式と称されていました)。

これら三式は飛鳥時代は既に日本で受容されていたが、602年の百済観勒による招来が記録に残る最初の招来である。

これら三式は日本においてすでに飛鳥時代知られていました。もっとも古い記録には602年の百済僧による招来が記されています。

平安時代 - 鎌倉時代にかけて六壬神課陰陽師にとって必修の占術であった。

そして平安から鎌倉にかけて六壬神課陰陽師にとって必修の占術となりました。

陰陽師として有名な安倍晴明占事略决』という六壬の解説書を子孫のために残したとされる。

陰陽師としてもっとも有名な安倍晴明占事略决』という六壬の解説書を残しています。

まあ完全な余談だけど、仮に、仮にだよ、私が2chその他で期待されているようなサイッテーのゲス野郎だったとしてもだ、そのサイッテーのゲス野郎の書いた文章をパクるような御仁は底抜けのゲス野郎ってことでOK?

*1:椎羅さんのブログである椎羅のホームページ紫微斗数入門のエントリから『紫微斗数入門』がダウンロードできます。落丁があったのが発見されて訂正版が出てます。