平安時代の陰陽師

『新猿楽記』(しんさるがくき)という平安時代中期の書籍がある。Wikipedia - 新猿楽記によると、著者は藤原明衡平安時代中期の儒学者文人であり、その内容はWikipediaによれば、

ある晩京の猿楽見物に訪れた家族の記事に仮託して当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していった物尽くし・職人尽くし風の書物である。その内容から往来物の祖ともいわれる。

である。この「猿楽見物に訪れた家族」というのが物凄い大家族で、家長とその3人の妻、16人の娘ないしその夫や付き人、そして9人の息子から構成されている。で、10番目の娘の夫が陰陽師を職業としている。その描写はというと

十君夫陰陽先生賀茂道世。金匱經、樞機經、神樞靈轄等之無所不審。四課三傳,明明多多也。占覆物者如見目、推物怪者如指掌。進退十二神將、前後三十六禽、仕式神。造符法、開閉鬼神之目,出入男女之魂、凡覩覽反閉究術、祭祀、解除、致驗,地鎮、謝罪、呪術、厭法等之上手也。吉備大臣七佐法王之道習傳者也。加之、法暦天文圖、宿耀地判經、又以了了分明也。所以形雖稟人體、心通達鬼神、身雖住世間、神經緯天地矣。

ざっと読み下すと、

十番目の君の夫は、陰陽先生の賀茂道世である。金匱經(こんききょう)、樞機經(すうききょう)、神樞靈轄(しんすうれいかつ)等の審らかならざる所無し。四課三傳、明明多多也。覆物を占うは目で見るが如く、物怪(もっけ)を推すは掌(たなごころ)を指すが如し。十二神將を進退させ、三十六禽を前後させ、式神仕る。造符の法、鬼神の目を開閉させ、男女の魂出入させる。凡そ覩覽反閉の術を究め、祭祀、解除、致驗、地鎮、謝罪、呪術、厭法等の上手也。吉備大臣七佐法王の道の習傳者也。これに加えて、暦の法や天文圖、宿耀地判經、又以って了了分明也。所以、形は人體に稟すと雖ども、心は鬼神に通達する。身は世間に住まうと雖ども、神は天地を經緯す。

こんな感じになる。どう考えても、この陰陽先生は一般的な陰陽師ではなくて、陰陽師の理想像だろう。原文は浦木さんところから拝借した。

ここで面白いのが、金匱經、樞機經、神樞靈轄はいずれも六壬の古典であるし、四課三伝を使う術はというと六壬しかないだろう。ということで平安時代陰陽師六壬神課ができて当たり前だったことがわかる。しかし「覆物を占うは目で見るが如く、物怪を推すは掌を指すが如し。」というのは、今の私では無理な話で生涯の目標というところだろう。

それと「十番目の君の夫は、陰陽先生の賀茂道世である。」とあるので、平安時代中期には、陰陽師といえば「安倍」ではなくて「賀茂」だったようだ。