自己言及と占い

触発されている

おれカネゴンさんの9月17日の日記に服飾の流行の話が出ていて、流行学についての記憶が呼び起こされた。流行学の提唱者である宮本悦也*1は、最初に流行学を世に問うた「流行学」において「この流行学が世間の常識となってしまい、結果として流行学が役に立たなくなる日を待っている」といったことを語っている。

人間の行動・思考に関わることについて言及すると、言及することによってその後の行動や思考が何らかの制約を受けたり、その後が変化してしまうことがよくある*2essaさん2004/09/24の日記で「社会科学の自己言及性」として、この言及による制約や変化という現象について触れている。

こういったことに触発されて、占いの根っこの部分について語りたいのだが、うまく話としてまとまらないので、備忘録代わりに幾つか書き残すことにする。

自然の自己言及性

最初に自己言及性についてだが、essaさんは自己言及性は、社会科学において発生し、物理学が対象としている自然においては発生しないのではないかと考えられているようだが、最近はそれが怪しくなってきているように思う。

非常に大雑把な話だが光について、粒子性が持つ物理量である運動量と、波動性の結果である干渉縞を同時に計測することはできない。つまり測定という自分に対する言及に対応して動作が変化するわけだ。これは自然が自己言及性を持っていることの現れではないだろうか*3。この自然が自己言及性を持っているという話を推し進めれば、強い意味での人間中心原理*4に到達するだろう。半村良の妖星伝「魔道の章(購入)」(ISBN:4061859080)は、この強い意味での人間中心原理を仏教の用語で語ったものだという読み方もできる*5。仏教*6と物理に興味のある人は読むべきだろう。

閑話休題

事情があって阿伎留神社の秋の大祭に行きそびれたのは残念だった。9月末になっても台風は来るし10月に大雨が降ったりもする。次の台風も近づいてきてるし。そろそろ天変地異も収まってくる時期じゃなかったっけ?光雲クン。

*1:Webページがないのは残念。現在、流行学研究所として活動中らしい。

*2:Simpleさん2004/05/05のエントリで占いが当たるの原因は、この言及による行動・思考の制約という現象であると結論している。

*3:この波動性と粒子性の計測が両立しないという現象についてかなり厳密な実験が行われたはずだ。確か結構古いサイエンスで見た記憶がある。

*4:人間が認識することによって宇宙が現在の形態となったという考え

*5:強い意味での人間中心原理は永井豪の「黒の獅子(購入)」(書籍リスト)あたりにも通底しているかもしれない。

*6:そういえば釈迦の称号の一つである如来に、預言者という意味があるかのごとく言っていた御仁がいたっけ。御釈迦さんの称号だから真理を語る者くらいの意味は付加されたかもしれないが、預言者はやりすぎでしかないだろう。それともどっかのカルトじゃそんな嘘を教え込まれるのか?ま、インド哲学で卒論書いた鎗田先生に遊んでもらうにはアンタじゃ役者不足ってこった。