『運命』が有るとか無いとか

『運命』が有るとか無いとかについて、この『はてな日記』では、

それは公理であり、有るとしても無いとしても何も問題ない。

と主張してきた*1

さて、幾何学において、ユークリッド幾何学、リーマン幾何学、ボヤイ・ロバチェフスキー幾何学のどれもが、お互いに異なる平行線の公理を持ちながらも正しい幾何学だ。そして各幾何学の内部に他の幾何学をモデル的に構築することが可能で、それによってお互いの正しさを保証しあっているという相補性があることが判っている。Wikipediaの『非ユークリッド幾何学』の項目には、『幾何学の相補性』の節があって、以下のように書かれている。

楕円・放物・双曲の各幾何学は、互いに他を否定する存在ではなく、いわば並行に存在しうる幾何学であることを注意しておきたい。各幾何は、それぞれ他の幾何の中に(少なくとも局所的には)モデルを持ち、したがって互いに他の体系の正当性を保証することになるからである。つまり、ユークリッド幾何学が無矛盾な体系であれば他の幾何学もやはり無矛盾だというわけである。

そこで、例えば『宿命論』が成立する世界で『完全に自由意志』で行動する人間や、『完全な自由意志』が成立する世界で『宿命』に従って行動する人間をモデル的に構築することができるなら、運命の有無は公理であることの傍証になるだろう。

宿命論の世界

その世界は宿命論に従っており、いかなる人間も生まれる前から決まっている宿命に従った行動のみが許されている。しかしその世界に生まれていても、宿命についての情報が全く与えられていなければ、その人間は全て自分の意志に従って行動していると考えることになるだろう。

完全自由意思の世界

その世界は完全に自由意志に基づいており、全ての人間は自分の意志のみに従って行動している。この世界に生まれていても、これがあなたのタイムテーブルだとして一生の行動を詳細に記述したものを渡され、それを受け入れてそのタイムテーブルに従って行動する時、その人間は宿命に従って行動していることになるだろう。

このように、運命が有る世界と無い世界の中に他方の世界を構築できることは、ほぼ自明であると言って善いだろう。つまり運命の有無は公理ということだ。