『貞』私は『問う』と読み、そう解釈する

考古学の進展に伴って易経を読むに当たって、考古学の成果を取り入れるのは当然だと私は考えている。例えば『貞』、この文字は神意を問うという意味であり、問うと読みそう解釈するべきというのは、考古学の成果を知っている人間にとっては当然であり、そちらの方が自然に読み解釈できる。私はそう考えている。

それを強く裏付けてくれるのが、易経に出てくる10ヶ所の『貞凶』だ。再度、採録しておくと、

屯九五 屯其膏。小貞吉、大貞凶。
師六五 田有禽。利執言无咎。長子帥師。弟子輿尸貞凶。
隨九四 隨有獲。貞凶。有孚在道以明何咎。
剥初六 剥牀以足。蔑貞凶。
剥六二 剥牀以辨。蔑貞凶。
頤六三 拂頤。貞凶。十年勿用。无攸利。
恒初六 浚恒。貞凶。无攸利。
巽上九 巽在牀下、喪其資斧。貞凶。
節上六 苦節。貞凶。悔亡。
中孚上九 翰音登于天。貞凶。

原文は例によって、雨粟莊さんのところから御借りした。大成六十四卦の爻は364384*1あり、『貞凶』が、その中の10の爻に出現する以上、無視はできない数と思う。

屯の五爻は特に、

小さな問いは吉、大きな問いは凶

と読むのが自然であり、他の読みと解釈、特に『貞』を道徳的であれといった意味に取るような読みと解釈は非常に困難だと思う。吾唯知足のヤソシマさんや、久世明希知さんは、どのように読んでどんな解釈をしているのだろう?

ヤソシマさんは最近のエントリ、『論考三点』で、

ただ、古い時代の易を掲げて義理を否定するのであれば、その古い時代の易を完全に復元し、それで首尾一貫して占いをやるべきだろう(念のために言っておくと、それは周易にあらざるものだが)。都合のいいときは古い時代の出土品から推測される考えをとり、都合の悪いときは浅い時代の解釈を取るとすれば、これはご都合主義と言わざるを得ないだろう。

と言われるわけだけど、『貞』を問うと読み解釈すると、周易にあらざるものということなのだろうか?義理を否定しているということなのだろうか?。既に考古学の成果を取り入れた易経の読みくだしと解釈は、三浦國雄先生によってテキストクリティークを経た上で講談社の文庫本として入手できる状況であり、義理を追求するために考古学の成果を取り入れるための基礎は提供されている、というのが私の考えている所だ。

ついでだが、ヤソシマさんの『論考三点』に、

さて、周易というのは一般には易経成立以後のものを指し、大抵は十翼まで含む。

とあるわけだけど、易経が十翼を含めて短期間に成立したということはありえない。易経は、まず爻辞と卦画のみがあり、卦辞と卦名は後から作られたものということが考古学によって明らかにされている。そして『経』がほぼ確立した後に『伝』ができたわけで、経から伝まで100年や200年はゆうにかかっているわけだ。

なお中筮についてヤソシマさんがどう感じようと、それはそれで御自由なのだが、中筮では爻毎の数字を一変で出しているわけで、その数字が小成八卦となってさらに爻卦となったのが江戸の頃だったというだけのことだろう。

*1:久世さん、御指摘ありがとうございました。