論語の中行、易経の中行

論語には以下の様な孔子の言葉が残されている。

子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也。
(大意)
先生が言われた。「中庸の徳を行う人が得られないとき、私が付き合うのは、狂か狷の人だね。狂の人は世間のしがらみがないので進取の気勢があるし、狷の人はこれだけはしないという保証があるからね。」

多分、孔子って相当に面倒臭い人だったのだと思う。ここでの『中行』は、中庸の徳を得た人、それを行う人をさしている。孔子は易の経文の注釈としての『伝』である十翼*1を書いたとされているが、これはあくまで伝説であることが証明されている。

易経の『経』にも5ヶ所『中行』が出てくるけれども、これはすべて途中まで行くという意味であることが、元勇準博士の「『周易』における「中」の意味とその変容」で突き詰められている

中行が途中まで行くの意味であるのが理解しやすいのが『復』の爻辞だろう。

六四、中行独復。

途中まで行って、1人で帰ってくる、そのままだ。

こういう古い易のちょっと新しい話を4月23日に名古屋のイルエルさんでする予定です。最小5名からなので、奮って御参加下さい。

*1:上繋辞伝、下繋辞伝、上彖伝、下彖伝、上象伝、下象伝、文言伝、説卦伝、序卦伝、雜卦伝。