エキサイティングな易についての論文

元勇準博士の学位論文

先日の日記で触れた元勇準博士の学位論文である「『周易』の儒教経典化研究−出土資料『周易』を中心に−」が閲覧可能ということで、東京大学文学部の図書室まで行ってきた。胡乱な訪問者であっただろうにも関わらず、図書室の皆さんには丁寧な対応を頂いた。感謝する次第です。

論文表題に『儒教経典化』とあるので、卜筮の書であった易経のオリジンが儒家によって経典化されることで、道徳書に化して行く過程を追った論文かと漠然とした予想を持っていたけど、それは良い意味で完全に裏切られた。

易経』の儒教経典化によって、形而上の世界において儒家道家に対抗できるようになったということが丁寧に論証されている。元勇準博士は論文の結論部で以下のように述べている。

儒家は『周易』を経典として採用することによって、『周易』が持っている呪術性・宗教性を自らのものにすることができた。それによって、儒家は道徳性の上に呪術性・宗教性を兼ね備える聖人像を提示することができた。

つまり儒教の経典となった『易経』においても、卜筮の書としての性格は保持されていたし、卜筮の書としての性格は保持されていなければいけなかった。『貞』の原義が忘れられてしまったのは、遥か後世の朱子学の影響だったりするのかもしれない。なお、『周易』の儒教経典化において、荀子の弟子たちが大きな働きをしたらしい。『善く易を為むる者は占わず』が「荀子」の「大略篇」にあるのはその影響のようだ。

周易以前の卜筮とか

なお「第二節 出土資料『周易』の卦画の考察」において、非常に興味深い考察が展開されている。出土資料における卦を表した『卦画』において、陰爻と陽爻は現在の形とは異なっており数字の六と九の書体に近いこと、『周易』以前の卦画に六や九とは異なる数字が描かれていると考えられることから、商・周において一から十の数字を使用した数字卦が存在した可能性がしめされている。そして使用されている数字に種類が減って行き、最終的に九と六に収斂したのではないかという考察が展開されている。

つまり爻辞の六や九は、陰陽を数字でしめしたものではなく、元々から六や九であって、それが陰陽と解されるようになったというわけだ。このことは『周易』が、遠い過去からの卜辞、爻辞の集積に上に成立した卜筮の書であることを教えてくれる。

またこの論は必然的に、小成八卦から大成六十四卦が作られたという説の否定につながるだろう。論文では、大成六十四卦は元々から六十四卦であり、小成八卦は六十四卦へのインデックスとして使用されるようになったのであろうとしている。

またこの考察から、彖伝・象伝が小成八卦に基づいている以上、六十四卦についての『易伝』である「繋辞伝」の方が彖伝・象伝よりも古いということになる*1

卦名・卦辞

もう一つ重要なのは、『周易』において卦名・卦辞が定まったのは、爻辞が定まった後のことであるという指摘だろう。論文では、卦名は爻辞から取られており、卦辞は六爻全体を通しての判断を述べてたものとしている。またこの考察の過程で、いくつかの卦名に不備があることがしめされている。一番はっきりしているのが『履』であり、『履』だけでは意味が通らず『履虎尾』まで続けて初めて意味が通る。

この成立順序から行けば、まずは爻辞を読むべきであり、爻辞が使えないなら卦辞を読み、卦辞も使えないなら卦象という判断順序を導き出すことも可能だろう。

ということで

元勇準博士の論文を読めば易の達人になれるわけではないけど、読まずに易、特に字句の解釈についてあれこれいったところで、それは砂上の楼閣というものだろう。できたら全文コピーして帰りたかったが、原著者から全文コピーが禁止されていたので、「第二節 出土資料『周易』の卦画の考察」から始まるエキサイティングな考察の部分と結論からリファレンスまでをコピーして帰ってきた。

*1:もっとも繋辞伝にも小成八卦は出てくる。