数百年から千年くらいの時間を経て易経が成立してきたことが考古学の進展によって明らかになってきた。古くからの卜辞の集積から卦画や爻辞が徐々に今の形を整え、卦辞や卦名が決まり、易経の『経』の部分が確立し、次いで『伝』が整備されて易経が今の形となった。余談だが、この長い時間を必要とした易経の成立過程は必然的に「易経は本来は旅行記であって占いとは全く関係が無かった」といった珍説を簡単に否定してしまう。
さて考古学が明らかにしたことの一つに、大成六十四卦は元来六爻の六十四卦であって、小成八卦を二つ重ねて六十四卦としたものではなくて、逆に大成六十四卦を上下三爻づつに分けることで小成八卦が作り出されたということがある。
なので八卦が出てくるものの六十四卦についての解説では八卦に分解することない上下の繋辞伝が易伝の中では最古のものであることを予感させる。今では多くの易経の解説書で『経』の中に組み込まれている彖伝や象伝は八卦を扱っているので、繋辞伝よりは新しいと考えている。
小成八卦は大成卦から生み出されたものであり、今の乾兌離震巽坎艮坤に落ち着く前の時代があった。
乾 | 兌 | 離 | 震 | 巽 | 坎 | 艮 | 坤 |
健 | 説 | 明 | 動 | 巽 | 険 | 止 | 順 |
古くは乾卦は『健』とよばれていた。今の八卦に対応する古い呼び方を表にまとめておく。
この古い呼び名をみれば判るように、彖伝では単に卦の構造をしめした文言が頻出する。例えば、
- 蒙の『険而止』、山水蒙は下卦が坎で上卦が艮。
- 訟の『険而健、訟』、下卦が坎で上卦が乾なのが天水訟。
- 小畜の『健而巽』、小畜は下卦が乾で上卦が巽。
等々、枚挙に暇がない。
またこれは、彖伝がかなり古い時代の記憶を止めていることをしめしている。まぁ爻辞の六や九程ではないにせよ、だが。
ただそうは言っても、小成八卦の発明は易の解釈においても、後世の風水や九星においても大発明であったことは間違いないところだ。