梁同巳亥

徳川家康の命盤

徳川家康の出生日時は天文十一年十二月廿六日寅刻と伝わっている。紫微斗数だと太陰太陽暦の日付をそのまま使うので、グレゴリオ暦に直した時には2月10日で明らかに立春を越えているけれども壬寅年生まれとして扱う。その命盤がこれだ。

命宮である亥宮に天梁がある。天梁が巳か亥にあると対宮は必ず天同が入る。こういう場合、天梁がもつ父母と縁が薄いとか幼くして父母から離されるといった意味が強調される。

そこでこの配置には『梁同巳亥』の名前が付けられている。家康はこの梁同巳亥にあたる。実際、母親の父となる水野忠政が今川から織田に鞍替えした結果、父松平広忠は母親である大子を離縁した。そのために家康は3歳で母親と引き離されることになる。その後も人質として駿府に送られる途中で織田側によって誘拐されたり、人質交換で駿府に行ったりと、父母から引き離された幼少期を送っている。

なので、私は家康の出生日時は正しく伝わっていると考えている。

『梁同巳亥』の語は『紫微斗数全書』巻3の「論諸星同垣各司所宜分別富貴貧賤夭壽」にも出てくるそうで、

梁同己亥男多浪蕩女多淫。加刑忌殺湊多下賤。

と散々な書かれ方のようだ。

もっとも家康は、化禄、禄存と禄が重なっているし、同宮とはいえ太陰太陽から照らされていて対宮に文曲があるので、江戸幕府の開祖であっても不思議ではない。