白井為賀の日家九星
あれから進んでなかった『陰陽方位便覧』の調査だけれどれ、念のために風水と紫微斗数の師匠である陳俊龍先生に日の九星について聞いてみた。中国の日の九星の出し方は、
ということだった。これは私にとっての老大哥である鮑黎明先生が出されていた『開運風水暦』と同じやり方でもある。なので白井為賀が、
閏奇ノ起例ハ奇門家ノ閏奇接気ノ法ニ倣ヒ余ガ發明スル所
と書いたのはフカシではなかったと考えてよいだろう。最初に出た『陰陽方位便覧』には晴親卿が序文を書いているので、この新しい九星術は土御門家としてもかなりの期待を寄せていたのは間違いないだろう。
ただ2番目の『陰陽方位便覧』が出たのが慶応元年で3年後には明治維新を控えていたわけだ。維新後の天社禁止令を考えると土御門配下の陰陽師の身分や生活を保障するには少々遅かった感があるのは否めないと思う。晴雄卿は思う所があったのだろうか?晴親卿と違って序文を載せていない。
それでも『陰陽方位便覧』が園田真二郎によって再発見されて、若干の手直しの結果『気学』となって日本の中心的な占術の1つまで成長したことを考えると、大きな意味のある出版だったのは間違いないだろう。