徳川家康の命盤

なんか似てる?

以前、徳川家康の生年干支について考えてみたことがあった*1。この時に家康が『天文十一年十二月二十六日生まれ』ということが分かっているし、天文十一年が壬寅年ということも分かっている。紫微斗数立春とは関係無く太陰太陽暦に従うので紫微斗数の命盤を作成することができるのだった。

なんか案外、自分の命盤と似たところがあるという印象だ。まず命宮主星が天梁であること。身宮が官禄宮という所等だ。
ただやはり違うところは違う。田宅宮に廉貞、父母宮に七殺に加えて擎羊があっていかにも父母と縁遠い感じがある。

しかし奴僕宮が破軍独守というのは、いかにも曲者揃いの部下ばかりという感じだ。
家康は信長の命令で築山殿を処してからは正室をもらってない*2のだけれども、夫妻宮に巨門が入っているので築山殿で懲りた可能性はある。

遷移宮が良いので駿府での人質暮しは悪くなかったのだろう。

*1:メトン周期による概算

*2:秀吉の妹が継室ではあるけど夫婦とは言い難いと思う。