南都陰陽師

奈良市陰陽町

暦道の家であった賀茂の末流に幸徳井家がある。末流とは言っても本家が絶えた後、江戸時代に陰陽頭を二代にわたって輩出したことがある。その幸徳井家とその配下で南都陰陽師とよばれた集団が拠点としていたのが、今の奈良市陰陽町一帯だ。

南都陰陽師は『南都暦』とよばれる独自の暦を頒暦していた。作成は幸徳井家が行っていたのだろう。

 

この陰陽町に『鎮宅霊符神社』が鎮座している。鎮宅霊符神はザンバラ髪で剣を持っているという姿形から玄天上帝から派生した神なのはほぼ確実だ。北辰の神であり陰陽町で祀られるの相応しい。なお玄天上帝を仏教が取り込んで尊格としたのが妙見菩薩なので、日本では八代のように妙見の近くに鎮宅霊符神社とか霊符神社があったりする。

『鎮宅霊符』というと今では72枚の符の形態をとっているけれども、それ以前には1枚ものの棟札のようなものだった時代もある。この棟札タイプの鎮宅霊符に銅製のものがあり、ヤフオクに出品されたことがある。これはまず間違いなく日本からの注文によって中国で作成されたものだと分かっている。