道長も執念深いな

小右記』の『天下悌怠白物』の記述

賢人右府と呼ばれた藤原実資(さねすけ)は『小右記』とよばれている膨大な日記を残している。その中に、

如博雅者博雅文筆管弦者也、但天下悌怠白物也

の記述がある。『天下悌怠白物』という物言いが面白くてtwitterのプロフにも使っている。
長い間これを藤原実資による源博雅への評と思っていたけれども、実際は違っていた。

下向井龍彦先生の『藤原定頼、妻子を置き去りにして実家に帰る。』によると、この物言いは藤原道長による藤原定頼への悪罵に出てくるもので、

定頼は源博雅みたいに才能あるけど、とんでもない遅刻魔の大馬鹿者だ。

ということらしい。国会図書館のデジタル・アーカイブから『小右記』の該当個所のスクリーン・ショットを取ってきた*1

定頼は藤原公任(きんとう)の息子で、公任が実資に「道長の悪罵が世間で定着してしまったら親として辛い」と語ったようだ。確かに賢人右府ならこんな直接の悪罵を日記に書くとは思えなくて、道長らしいと言えば道長らしい*2

道長が公任の息子への悪罵を放言してたというと『大鏡』の、

影をば踏まで、面をや踏まぬ。

を思い出す人は少なくないだろう。道長の父である兼家が公任の才能を羨んで「うちの馬鹿息子共は公任の影さえ踏むこともできないだろう」と言ったのに、道長が返した放言だ。そして息子の定頼をダシにして公任の面踏んだわけだ。道長って執念深ない?

*1:49コマ目

*2:道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠むような御仁だ。