バオー来訪者

タイトルに大した意味はないです

バオー来訪者』は、荒木飛呂彦出世作*1で、このエントリでは『来訪者』を引っ張りだすためだけの呼び水という所だ。遠く異朝をとぶらえば、紀昀の『閲微草堂筆記』において、古道具屋の主人で六壬の達者であった李鷺汀は、その日一日の自分の身に起こる出来事を占って、

  • 仙人が客として来る。
  • 仙人は竹の杖をついている。
  • 酒を飲んで詩を書いて去る。

と判断している。実際には李鷺汀の友人が竹に刻んだ仙人の像を売りにきて、その像にはモデルとなった仙人が書いたとされている詩が刻まれていて、ヒョウタンが像とセットになっていて、中にちゃんと酒が入っていたのだそうだ。李鷺汀はこれを失敗談として友人に語ったそうだけど、私からすると「それ、ホントは自慢じゃないの?」という所で、まだまだヘボな身としては羨ましいことこの上ない。

近く本朝をうかがふに、先達阿部泰山公もその日の出来事を占って、お歳をめした御婦人の来訪があり、御婦人は風呂敷包みを持っていて、その中身はコレコレまで当てたという話が伝わっている。

伝統的な六壬では類神の陰神から類神の具体的な姿形を推測することになっている。なので李鷺汀の仙人や泰山公の老夫人は類神の陰神から導出したのだろう。そしてその陰神の陰神から李鷺汀の竹、泰山公の風呂敷包みといったものを読み解いているというのが、現時点での私の考えだ。つまり来客の具体的な描写は陰神、陰神の陰神といったものを駆使しているのだろう。この推測はずいぶん前に出来ていた。

ところが皆目検討もつかなかったのが、来客の類神とは何か?まるで検討もつかなかった。『鬼撮脚』辺りを見ても来客の類神は判らなかった。まぁ私の六壬だと、西洋占星術からの類推で遷移宮つまり地盤未宮から類神を取ることもあるだろうけど、伝統的な六壬にはなさそうな技法なので、李鷺汀や泰山公が使ったとは考えられない。問いを薄く頭に焼き付けて数年経った。そして実家に逗留していたある日、風呂屋に行くついでに奇門遁甲を使って開門を開いてみたわけだけど、身体を洗っている時に天啓が降りてきた。ここから先の話は、上手くすれば5万くらいで売れそうな気もするので、ちゃんと読んで欲しい。

奇門遁甲には六壬の天地盤を使う技法が幾つかある。天三門、天馬太冲、私地門辺りだ。中でも天馬太冲は奇門遁甲の中では珍しく遠行で使える方位となっている。天馬と遠行から、駅馬が出てきた。そう駅馬は客人の類神の可能性がある。他に天馬太冲の太冲、私は大衝の表記を好むけれども、これも客人の類神の可能性がある。ならば大衝を本地とする六合もまた客人の類神の可能性がある。

ということで、来客の類神として、

  • 駅馬
  • 大衝
  • 六合

を挙げておく。

*1:だと私は勝手に思ってる。打ち切りくらったらしいけど。