口先ドラゴンの戯言

千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ

これは八極拳と六合大槍で有名な李書文の言葉だそうだけど、私を含めた『拳児』の愛読者は同書に出てくる尚雲祥のエピソードと相まって『一招熟する』を誤解しているかもしれない。その尚雲祥のエピソードというのは、

有名な形意拳の李存義に入門した尚雲祥だけど、不器用な尚雲祥は最初の劈拳を覚えることができなかった。李存義は仕方なく尚雲祥に簡単な動作のみの崩拳を教えた。そして尚雲祥は3年間黙々と崩拳だけを修練して、師を驚かせるほどの功夫を身につけた。

というものだ*1。私は「一つの技だけを愚直に修練すれば、その技だけで勝てるようになる」と誤解してしまったわけだけど、別の分野の似たような言葉と合わせれば、そんな単純なものではないことが解る。その別の分野というのは『奇術』だ。時たま話題にだすマジェイアの魔法都市のサイトには『あなたはいくつマジックを知っているのですか?』というコラムがある。そこには以下の記述がある。

いつでも、どこでも、どのような条件の下でも演じる自信のあるトリックを数種類持っていたら、何も困ることはありません。

つまり『一招熟する』というのは、

いつでも、どこでも、どのような体勢の下でもキメる自信のある一招を身につける。

ということだろう。それができたら確かに達人だ。

武術ついでに占術の話をするなら、徒手武術と兵器術が相まって武術が完成されるように、短時間が中心の卜占と、一生という長時間を相手にする命術は両方学んだ方がよいだろう。それもできたら西洋占星術とTarotのような組み合わせじゃなくて、技法の原理が共通しているホラリーとネイタルや六壬四柱推命みたいな組み合わせが望ましいだろう。

*1:真っ赤な嘘で、六壬でいえば天地盤が作れない人間が四課の出し方を教わって六壬の達人になった、みたいなものらしい。