簠簋内伝

三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集

普通は『簠簋内伝』や文字の関係で『ホキ内伝』とよばれているけれども、正式名称はこのように長たらしい。まぁ『宿曜経』も本来は『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』と非常に長たらしいので、『簠簋内伝』が特別というわけではないけど。この長い正式名称は当然それなりの意味を持っている。

最初の4文字の『三国相伝』はインド、中国から日本に伝わったものであるという宣言になっている。続く4文字の『陰陽輨轄』は占いないし暦を扱っているという意味だ。陰陽には“うら”の訓がありで占術を意味している。そして『簠簋内伝』の部分だけど、『簠(ホ)』も『簋(キ)』も儀式において食物を盛るための食器で『簠(ホ)』は四角く『簋(キ)』は丸い。商(殷)や周の時代に作られた青銅器の『簠(ホ)』や『簋(キ)』が伝わっている。WIkimediaにある写真をあげておく。

簠(ホ)
器と同型のフタをかぶせた状態
簋(キ)

中国では天円地方、つまり天は丸く地は四角いと考えられていた。四角い『簠(ホ)』は地への、丸い『簋(キ)』は天への供物を盛る器であったのだろう。ということで『簠簋(ホキ)』で天地を意味している。『簠簋内伝』で、天地の秘密の伝承といったところだろう。

最後の『金烏玉兎集』だけど、『金烏』は太陽を表す三足のカラスで、『玉兎』は月のウサギなので日月を表している。つまりここでも陰陽=占術もしくは暦の書であることをしめしている。全体を通して、インド、中国から伝わった占術ないし暦の書、というのが表題の意味だろう。実際、『簠簋内伝』は暦注の解説書となっている。

ところが巻一の冒頭に『牛頭天王』の霊験譚が出てくる。牛頭天王は中世日本に出現した神とも仏ともつかない信仰対象で、行疫神、暦神など多くの性格の重合体となっている。茅の輪くぐりで厄払いというのも牛頭天王説話が元になっている。

鈴木耕太郎著の『牛頭天王信仰の中世』によると、資料で確認できる牛頭天王の初出は平安末期に成立した『本朝世紀』の久安四年(1148年)の三月廿九日条なので、簠簋内伝の著者に仮託された安倍晴明の時代からは少々離れすぎだ*1

元々は行疫神であった牛頭天王がどのような過程を経て暦神としての性格を持ち、陰陽道に取り込まれていったのかは『牛頭天王信仰の中世』で解説されているけれども未だに腑に落ちるところまでは行っていない。11月30日のトークショーが楽しみだ。

山伏だった祖父は牛頭天王*2を祀った天王社*3と、それとセットになった千手観音が本尊の御堂の御守りをしていた。

祖父とは一面識もないけど、私が法師陰陽師の子孫を自称してもそんなに外れてはいないだろう。五十歩百歩だろうけど、有名な自称陰陽師と比べれば向こうが百歩で私が五十歩だろうwwww

*1:晴明の没年は1005年とされている。

*2:石鎚三十六王子

*3:父は“おてんのんさん”とよんでいる。子供の頃、どうしようもなくなった時に願い事をすると叶わなかったことがなかったそうだ。