爻辞の読み方新旧
以前、大石眞行さんが衆院選の結果を占って益之屯を得ていた。
開票前ですが、今日の衆院選の結果を発表します!【うらない君とうれない君】
投票日が荒天だったとか、結果的に代わりばえしない*1とかは善く当たっていたと思う。後、地の卦である旅から『希望の党』の失速ぶりみたいな所を読み取っていたのはさすがだと思った*2。
さて易経の経文は上経下経を通じて『龜』が3箇所出てくる。益の爻辞はその一つだ。
六二或益之十朋之龜弗克違永貞吉王用享于帝吉
例によって原文は雨粟荘さんの易経からお借りした。今回は句読点を省いている。
後半の「王用享于帝吉」は「王用って帝に享す。吉。」と読みくだせば善いのだろうけど、前半は色々な読み方があるだろう。三浦國雄先生は著書の『易経』では、
或るひと之(これ)に十朋之亀を益(たま)う。違うこと克(あたわ)ず。永き貞(と)いには吉
と読み下されている。亀の甲羅は宝物の一種だったようだ*3。その割りには易経には3箇所にしか出てこないので宝物の一種ではあっても誰にとっても宝物というわけでは無かったのかもしれない。
ところで、この読み方は従来とは異なっているようで、FFORTUNEのフォーラム・マネージャだったLumiereさんの電子易経のコンテンツの『益』では、
或いは之を益す。十朋の龜も違うあたわず。永貞なれば吉。
という読み下しになっている。こちらがデファクト・スタンダードな読み方なのだろう。ただ三浦先生は近年の考古学を含む研究成果を含めたテキスト・クリティークの上で引用した読み方をされているのは間違いないところだ。
このような従来との齟齬は三浦國雄先生の『易経』にはいくらでもある。同じ益の爻辞だが五爻の爻辞を三浦先生は以下のように読み下している。
孚の恵(たまわ)るる有り。心に問う勿れ。元(おおい)に吉。孚の恵(たまわ)るる有るは、我が徳なり。
従来は、
孚有りて心恵む。問うなかれ、元いに吉。孚有りて我に恵まるるは徳なり。
とでも読むようだ。Lumiereさんの読み下しとは異なっているが、雨粟荘さんのところでは、
九五、有孚惠心。勿問元吉。有孚惠我、徳。
と句読点を打っているので、これに従うと上記のような読みとなる。『有孚惠心』を1個の固まりとするなら『有孚惠我』もまた1個の固まりとするべきということなのだろう。
その点で『象伝』は『有孚惠心』を1つの固まりとしつつも、『惠我徳』で1固まりという少々異端な引用をしている。Lumiereさんはこの『象伝』に従った読み下しをしている。
三浦先生の読み下しで顕著だが、『有孚惠心勿問元吉』は「孚の恵みがあるのは問うまでもなく大いに吉」という意味に取るべきだろう。その問いも『貞』の卜問ではない。「(本当に吉かと)疑問を呈するまでもなく」ということだ。そういえば『問』は易経の経文にはこの1箇所しか出てこないのだった。