日の宿
このエントリでは『傍通暦』を以下の方法で、毎日の月宿を計算する方法としておく*1。
この計算方法は以下の仮定に基づいている。
- 月に運行速度の遅い速いがあったとしても、月は1日で1宿動く。
- 十五夜は必ず満月(望)である。つまり太陽と月が衝である。
かなり荒っぽい仮定といえるだろう。天文計算やってる『阪井占星術研究所』さんとかにとっては粗過ぎる仮定ではないだろうか。
ざっと考えても、閏月どうすんね?がまず頭に浮かんで来る。それと十五夜が満月とは限らないというのは、国立天文台の『名月必ずしも満月ならず』を読んでもらえると解るだろう。満月の時の太陽の位置が毎回黄道十二宮の中心なんてあるわけないし。もっとも天文学的に正しくなくても占いは当たれば善いし、天文学的に正しいことが占いが当る保証にはならない。
なんでこんな話を書く気になったかと言うと、高橋圭也さんのtweetを見て色々思い出したわけだ。
現在の市販の暦には牛宿を含む28宿が記されている。実は暦に28宿が載るようになったのは江戸時代に渋川春海が作った貞享暦からで、それ以前の古代〜江戸時代初期までの暦には牛宿を含まない月の運行による月齢陰暦の27宿が記されていた。また江戸初期の民間暦には宿曜経の三九秘宿も載っていた。
— 安倍晴明(SEIMEI)の剣印ポーズの生みの親☆高橋圭也 (@Keiya_Takahashi) 2017年10月17日
私が中二か中三の頃、青春出版社から割と面倒臭い占いの本がプレイブックスというシリーズで幾つか出ていた。例えば私が四柱推命を知ることになった新章文子さんの『四柱推命入門』とかルル・ラブアさんの『ホロスコープ入門』だ。この『ホロスコープ入門』は巻末のエフェメリスを使って自分でホロスコープを手書きするというものだった*2。これでホロスコープというものを知ったわけだけど、古文の授業で、平安の頃には宿曜道というものがあって、実はホロスコープ占星術だったということも知っていた。そして、祖父の遺品の中に『宿曜経*3』を見つけたわけだ。よし、これを読んでインドのホロスコープ占星術を身に付けようと読み始めたのだが、傍通暦の部分で奇怪しいことに気がついた。
国会図書館のデジタルコレクションに入っている宿曜経の傍通暦の部分を見ると『牛宿』が入っていることが判る。つまりこれは中国の二十八宿でインドの二十七宿ではない。これで『宿曜経』に対する信頼はダダ下がりした。で、上下二巻にざっと目を通したところ、ホロスコープの書き方は全然出てこなかった。当時の天文学を除いた占いの部分はというと、生まれた日の宿や黄道十二宮、曜日の吉凶象意くらいで、非常にがっかりした覚えがある。