やはり傍通暦なのか

宿曜については色々思うことがある

毎日の月が位置する宿の算出方法は、通常は『傍通暦』を使うと思う。この『傍通暦』は以下の仮定に基づいている。

  • 月は毎日一つの宿を移動する。
  • 太陰太陽暦の十五日は満月で、月は太陽と衝である。
    • 結果、太陽が位置する黄道十二宮の中央の宿と真反対の宿が月の位置する宿である。

この仮定が、かなり荒っぽいことは言うまでもない。例えば、太陰太陽暦の十五日は満月とは限らない。これについては、国立天文台暦計算室が運営している暦Wikiに『名月必ずしも満月ならず』という項目があったりするわけだ。十五夜の月=名月は満月とは限らないことが説明されている。こんな荒っぽい仮定に基づく傍通暦は、あんまり信用できなくてSwiss Ephemerisもあることだし、どこかで各宿の位置データでも手に入れてちゃんと計算した方が良いのではと考えてみたりもした。

ところが大久保占い研究所の『宿曜占い・宿曜術における「宿」の求め方』のエントリを読むとまた考えが変わった。このエントリでは、朔望を重視するのが本来の宿の求め方である、ということになっている。つまり傍通暦こそが、本来の宿の出し方と言ってるわけだ。

ただそれでも、

  • 十五夜が望とは限らない以上、傍通暦の起点は十五日ではなく望の瞬間を含む日ではないか?
  • 閏月の処理はどうするべきなのか?

という疑問は残る。現代のインド占星術では、この辺りはどう考えているのだろう。