本当はもっと早く行きたかったのだけれど、季節外れのインフルエンザ*1に罹ってしまって昨日になってしまった。『両漢における易と三礼』所収の、劉楽賢(広瀬馨雄訳)「出土文献から見た楚と秦の選択術の異動と影響−楚系選択術中の「危」字の解釈兼ねて」(渡邉義浩編『両漢における易と三礼』所収、汲古書院、二〇〇六年)を読んできた。『危』を吉とする理由は判らないままだけれども、多くの発見があった。
- 秦と楚で十二建除や他の神煞で名前が異なっていた*2。
- しかしそれらは同じルーツを持っていたと推測できる。
- 秦による中国統一の結果として秦の神煞しか残らなかった。
等だ。この辺りは玄珠さんから以前聞いたことがある。多分、玄珠さんは『両漢における易と三礼』を読んだことがあるのだろう。
さて『出土文献から見た楚と秦の選択術の異動と影響−楚系選択術中の「危」字の解釈兼ねて』によると『危』は『跪』の初文だそうだ。なので『危』を“あやう”と訓読するのは正しくはない。“ひざつく”くらいか。『危中有機』と『跪』を合わせると私なんかは、毒手の一つである『灯点紅』を思い出す。相手に恭しくマッチでタバコに火を点けてやり、相手が一服した瞬間にマッチの燃えさしで目潰しから金蹴りというエグい技だ。
さて近代に入って日本や中国では、十二建除を含む択日を迷信として暦から排除しようとしてきたが、こういった択日の技法が生まれた時代は、こういった択日に従うことこそが天の意に適う生き方だった。大野裕司先生の『戦国秦漢出土術数文献の基礎的研究』の第二部の第一章「睡虎地秦簡『日書』における神霊と時の禁忌」や第二章「中国古代の神煞−戦国秦漢出土術数文献にみるもうひとつの天道観−」ではそういった事柄が考察されている。
そしてこういった考え方は日本にも伝わって、高橋圭也さんが時々tweetする貴族が暦に従った生き方をする基礎となったのだろう。
古代〜江戸時代までの支配階級の貴族や武士達が陰陽道の六壬式占や暦占いをなぜ必要としたか?それは彼らが有職故実(礼式や法令、官職、服装などの決まり)他をこだわり守ることが彼らのステータスであり、また占いや暦占いに従うことが「天の意に従う=権力の維持、セレブの証し」と考えていたから。
— 安倍晴明(SEIMEI)の剣印ポーズの生みの親☆高橋圭也 (@Keiya_Takahashi) 2016年6月4日