紫氣の謎

七政四餘

中国にホロスコープ占星術が到来したのは、時期的に見て大きく2回ある。1st Impact は中国戦国時代から漢初くらいの長期間が必要だった。ホロスコープ占星術は干支術と合体し、六壬神課が生み出されて式占術の嚆矢となった。2nd Impactは唐の時代で、ホロスコープ占星術と中国の干支術、神煞とのごった煮みたいな七政四餘が生まれた。七政四餘と言う名前は、日月火水木金土の主要な7天体である七政星と、天体の軌道要素などから計算される4つの感受点である、羅睺、計都、月孛、紫氣の四餘を合わせて作られている。四餘は四余でもよいのだけど、日蝕月蝕に絡む羅睺、計都を含んでいるので、個人的には食偏の四餘を好んで使っている。紫氣にも紫炁という表記があったりする*1

七政四餘をごった煮と呼んだけど、ホロスコープ占星術は勿論、中国の二十八宿に加えて、七政四餘の11感受点に十干を対応させて、生年干との関係から化曜星を出すといった技法も含んでいたりする。まあ11感受点に十干を対応させるとしたら、感受点が1個余るのでまずは太陽は外すことになりそうということについては、大方の支持は得られるだろう。実際の七政四餘でもそうなっている。他の感受点と十干の対応関係はこんな感じだ。

十干
感受点 太陽 火星 月孛 木星 金星 土星 太陰 水星 紫氣 計都 羅睺

他の感受点の対応関係については原理が解からない。火星-甲とか月孛-乙とか特に理解できてない。

そして七政四餘は生年干によって変化する。この変曜星は半分が生年干と七政四餘の十干から導出される四柱推命の通変と一対一の対応がある。つまりこの変曜星が通変の直接の起源なんじゃないかと推測できる。

ところで四餘については、羅睺がドラゴン・ヘッド(月の昇交点)、計都がドラゴン・テール(月の降交点)、月孛がリリス(遠地点)なのはよく知られていると思う。じゃあ紫氣は月の近地点なんじゃないの?という推測をする人もそれなりにいるんじゃないだろうか。かくいう私もそういう早とちりをしていたし、それで恥をかいたこともある。確か、故田宮規雄先生もそう勘違いしてた。

もし紫氣が月の近地点なら月孛と公転周期が同じになるはずだけど、福山堂さんの七政四餘のページによると、

紫氣:右旋二十九日行一度,二十九月行一宮,二十九年行一周天。
月孛:右旋九日行一度,九月行一宮,九年行一小周天,六十二年行一大周天。

で、まるで異なっている。つまり紫氣は月の近地点ではないということだ。まぁ紫氣の公転周期については諸説紛々みたいだけど月孛の公転周期とはまるで異なっているのは間違いない。今の所、紫氣の実体は失われて久しいままらしい。

ところで『孛』を調べると、漢字ペディアの孛の説明は以下のようになっている。

①草木がしげるさま。
②光りかがやくさま。「孛孛」
③ほうきぼし(彗星)。

どっちかというと月が光輝くのは遠地点じゃくて近地点じゃないかという気もする。それと孛に彗星の意味があるのなら、ひょっとすると紫氣だって失われた短周期彗星なんじゃないかと妄想してしまう。

*1:紫気でも良いのだけど、氣の方が光ってる感じがするので、紫氣を使っている。