読書とか

本日の読むべき本

両漢における易と三礼
両漢における易と三礼

北海道大学の大野裕司先生の『戦国秦漢出土術数文献の基礎的研究』を読み返している。
論文篇を先に読んでしまって、解題篇をチビチビと読んでいるわけだ。

二章の『五行』に面白い記述があった。この二章の冒頭は「江陵九店楚簡『日書』」の内容の解説なのだけれども、43頁の第九組の部分にこうある。

大歳については詳しくは劉楽賢(広瀬馨雄訳)「出土文献から見た楚と秦の選択術の異動と影響−楚系選択術中の「危」字の解釈兼ねて」(渡邉義浩編『両漢における易と三礼』所収、汲古書院、二〇〇六年)を参照。

奇門遁甲には通常の三奇と八門がメインのものとは別に、六壬と関わりの深いと考えられる技法群がある。その一つが四地戸法だ。四地戸では斗建から出した十二建除の中の除、定、危、開を吉とする。

日本の暦では十二建除(十二直)の『危』を『あやう』と読んで凶としているが、四地戸と同じく通書でも『危』を『危中有機*1』として吉と判断している。

おそらくだが、「出土文献から見た楚と秦の選択術の異動と影響−楚系選択術中の「危」字の解釈兼ねて」には、『危』を吉とする根源的な理由が述べられているのではないだろうか。そして中国の戦国時代では秦と楚で十二建除の吉凶が異なっていたらしい。ワクワクしてくる。

どうも引っ掛かる

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易、風水、暦、養生、処世
東アジアの宇宙観(コスモロジー)

さて、大野先生が紹介していたということもあって、水野杏紀著の『易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観(コスモロジー)』(講談社選書メチエ、2016年)を読んでみた。
労作ではあると思う。しかしながら、どうも引っ掛かる所がいくつもあって、素直に読み進めることができない。引っ掛かった所を幾つか揚げてみよう。

78頁
易にはまた「貞」という言葉が多く登場する。貞とは正しいこと、君子の日々の振る舞いは易の説く天地の道理と同じである。

『貞』の字義は、『占う』『問う』であることが出土文献からも裏付けられていて、既に三浦國雄先生の『易経』のように『貞』を『問う』の意味で統一的に解釈した文庫本が出ている現状で、この『貞』を『正しいこと』とする解釈は些か古すぎないだろうか。

84頁から始まる『易の日本への伝播と足利学校』の節だけれども、既に『軍師・参謀 戦国時代の演出者たち』において、戦国時代の足利学校の易のカリキュラムには『納甲法』等が含まれていて、周易ではなく断易(五行易)が教えられていたことがハッキリしているのに、まるで周易がずっと教えられていたような記述になっているのは、私には納得がいかない。

120頁の西洋ではパブリックとプライベートが峻別されていて、アジアはそうではないという記述も、些か恣意的な分類ではないだろうか。放送大学で以前開講されていた『東アジア・東南アジアの住文化』においては、四合院や三合院、客家の土楼、黄土高原のヤオトン等は、過酷な環境から人間を守るために作られた『砂漠型の住居』としている。こういったことも考慮して欲しかった。

126頁
三国時代の蜀(漢)の劉備(字は玄徳)から三顧の礼で迎えられた軍師、諸葛亮(字は孔明)は、書画にもすぐれた才能があったが、「奇門遁甲」(玄空飛星派風水の源流ともいわれる)に精通していたという。また明の太祖、朱元璋の建国に貢献した軍師、政治家である劉基(字は伯温)は博識で先見性、判断力に優れた人物で文学にも優れた作品を残すが、風水術やさまざまな占術にも精通していたといい、推命書、『滴天髄』などを著述したという。

前段で『伝承がある』と書かれているが、伝承であることを強調しておいて欲しかった。特に諸葛亮奇門遁甲稗史小説による伝承だし、その稗史小説の筆頭格である『三国志演義』では奇門遁甲ではなく太乙神数を使って占う場面だって出てくる。また『奇門遁甲』と『玄空飛星派風水』の関わりは源流どころか希薄なものといってよいだろう。何故なら奇門遁甲の盤には紫白九星は出てこない。

142頁から始まる『僧侶と日本の風水』において、吾妻鏡嘉禄元年十月二十日丁未の条に記載されている、奈良興福寺の僧で法印であった珍誉が鎌倉御所の移転地の選定に関与していたことの記載が一切ないというのはどういうことだろう。紙幅の関係であれば削るべきものは他にあったと思うのだが。

それとまぁ、表紙のカラフルな羅盤は私の趣味ではないし、筮具である以上は天円地方の理に則って四角い枠に納まってて欲しかったよね。
ということで、他にも引っ掛かる所はあって、素直には読むことができない本だった。

三光について(只の思いつき)

『日月星辰』という言葉がある。奇門遁甲でも乙奇を日奇、丙奇を月奇、丁奇を星奇としている。乙も日も一つだし、丙も月も一つしかない。所が丁は一つなのに星は沢山ある。ずっとここが引っ掛かっていた。

ところが、天台宗では三光と言って日月と明星をセットにして祀っているそうだ。星奇の星も実は特定の星を指していたのではないだろうか。そういえばウェイト版の“The Star”はシリウスらしい。

ところで、花札に松桐坊主という役がある。多分、これが三光役の基になったのだろう。で、松の光札には太陽、ススキの光札には月が描かれている。ならば桐の鳳凰も元は星だったのではないだろうか。花札はタローカードが日本でアレンジされてできたものだそうだし。

*1:ピンチはチャンスの意味。