コメントのやり取りが続いているわけだけど

先日の『どうも引っ掛かる』というエントリに関連して、『易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観(コスモロジー)の著者の水野杏紀さんとコメントのやり取りが続いている。

『貞』字の解釈をめぐって私と水野さんとでは、読み方の前提となる御互いの立ち位置が大きく異なっていることがハッキリしてきたように思う。私は基本的に占い師であって『易経』を占いのテキストとして、どう読めば当たるのかを考えている。そして道徳*1によって本来の読み方が歪められてきたと考えている。

一方、水野さんは著書のタイトルから判るように、養生や処世を含めた東アジアでの世界の捉えかたを易、風水、暦から抽出しようとされている。その観点からは『貞』を『正しい』として捉えるべきだと考えられているのではないだろうか。

しかしながら占い師にとっての避凶趨吉は、日頃の生き方だけではなく占い師という専門家による『処方』という意味も持っている。暦を見て択日を行い家の中を造作し易で行動の可否を判断し、それをクライアントに伝える、占い師はそういう仕事をしている。そういう占い師にとって、まずは自分の占いが当たるということが重要になってくる。そのために不断に自分の術を見直し練り直す、占い師とはそういう生き方をする人間だ。

ただまあ、下元八運も半ばを過ぎ新しい上元一運が近づいてきたこの時期なので、できたら、水野さんには考古学的な新しい知見を踏まえた上で上元一運に相応しい『東アジアの宇宙観』を語ってもらいたいと考えているのだけれども、ちょっとワガママが過ぎるだろうか。

*1:主として儒教的なだろうけど。