1年の切り替わり

中国系の占いをやっていると、年や月、日が切り替わる時刻が問題になる。まあ占術毎に境界時刻が決まっているので、自分独自のやり方に絶対の自信があるというならともかく、実際に占う場合はその決まりに従うことになる。

ただ暦、つまり現在の法律に則っているグレゴリオ暦ベースの暦の年末になると、来年を占うなんて話が出てくるわけなんだけど、何年か前のまだちょっと青かった時代にはそういう話を聞くと「占い師にとっての新年は立春だ」とか突っ張っていたわけだ。そういうことを思い返すと、シャアでなくても、

認めたくないものだな、自分自身の若さ故のあやまちというものを

とか呟きたくなってしまう。

最近は年の切り替わりって、かなりゆっくりと進行すると感じるようになった。つまり冬至に至って太陽の影響力が最小となった時から年の切り替わりが始まって、確実に春となる春分に至って年の切り替わりが完了するのだろうということだ。冬至から始まって小寒大寒立春、雨水、啓蟄春分という節季にして6つもの時間をかけて1年が切り替わって行くように思う。この期間は新旧両年の象が出るのだろう。周易をやる人は年筮を冬至の日に立てるし、西洋占星術では1年を春分図で占う。

考えてみれば中国占術で1年の切り替わる時刻として使用されることが多い、立春の太陽黄経は315°で、冬至春分の丁度中間の値になっている。立春冬至春分の中間点として意識された結果、『春の気初めて立つ』として設定されたものではないだろうか。そして立春くらいになれば新年の象が強くなってくるということなのだろう。

さて冬至春分の間にはマイルストーン的な時刻が幾つか存在する。

こうしてみると、やっぱり現行暦の新年て人間が勝手に決めましたって感じだよね。冬至直後の朔で日蝕*1のあった今年は特にそう感じる。そういえば鮑黎明先生とか村野大衡先生は、冬至朔望月から計算されるある時刻を1年の切り替わる時刻として使っているんじゃなかったかな。

*1:沖縄あたりで欠けたまま日没になる日蝕が観測された。