年の内に春はきにけり

恒例の新年へのマイルストーンに書いたように、今年は定気であれ恒気であれ立春は正月朔の日である明日の2月8日よりも早い。

年の内に 春はきにけり ひととせを 去年とや言はむ 今年とや言はむ

古今集の冒頭を飾るこの歌は在原元方が詠んだもので、元日の前に立春を迎えるというちょっとした面白さを少々大仰にリズム好く詠んでいる。

私の郷里の出身者で一番有名だろう正岡子規は「こんな無内容なものをわざわざ歌に詠むってのは、いったいどういう了見だ。」みたいなdisり方をしている*1けれども、子規という近代歌人の嚆矢は、当然のように古今集を熟知した上で短歌の革新を目指していたので、この難癖はかなり割り引いて受け取る必要があるだろう。

さて古今集の時代なので、在原元方が迎えた立春は恒気法に基づいて定められた立春なのは間違いない。畏友大石真行さん言う通り、日本で定気の二十四節気が採用されたのは、1842年の天保暦以降だからだ。

で、私は暦のシステムに手を付けるなんてことはやらないけど、占い師の中に時々「現行の暦のシステムは正しくないので、古い暦のシステムを復活させた」という人が現れる。でもそういう人の流れの人が、定気の2月3日を節分としているのを見ると、「一体何を復活させたというのだろう?はて?」という気分だ。

太陰太陽暦の月末が『晦日』なのは、月が太陽に接近して夜に月が出てなくて暗い日であることを意味している。平勢隆郎先生なんかは、春秋の時代には最初に月が見える朏(ヒ)を1日としていたという説を唱えられているので、晦日は朔(サク)の日で確実に月が見えない日だったことになる。晦日を『みそか』と訓じるのは、太陰太陽暦の月末で切りの善い日が30日だからだ。そして年末の晦日が大いなる晦日で大晦日となる。今日だ。

*1:正岡子規は『歌よみに與ふる書』でこう語っている。「實に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外國人の合の子を日本人とや申さん外國人と申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候」