易経を読む時の観点

易経の読み方

易経はもとより占筮の書であるのだけれど、水野杏紀さんとのコメントのやり取りからも判るように、易経を読むといっても幾つかの観点に基づいた読み方がある。大きく3つくらいあげると、占筮、処世、哲学だ。そしてそれらの集合は、どう考えても一致してなくて、図のように重なる部分を持ちながらも別々になっている。そうでないなら、処世に基づく水野さんの読み方に私が異議を申し立てることもなかっただろう。

そして占筮の書として読むなら、そのオリジンにおいてどのような読み方だったのかは非常に重要だし、その読み方に基づいた解釈をするべきだというのは、私にとっては自明のことだ。

ついでに言うなら卦辞・爻辞は象徴なので、実際の占いの場では象徴を現実に展開する必用がある。展開してやっと卦辞・爻辞が生きたものになってくる。そしてだからこその筮前の審事だし筮後の審事なんじゃないだろうか。