仕方が無いので読んだ

今更、易でライプニッツ

大野先生がこんなツィートしてた。

既に易関係では出土物から従来の知見が大きく書き換えられている。特に易のオリジンについていうなら、先行する『数字卦画』において1~10の数が使用されていたことがハッキリしている。そういうことは東大文学部で学位を取られた元勇準先生の学位論文「『周易』の儒教経典化研究−出土資料『周易』を中心に−」にちゃんと書いてあることだ。この学位論文は2008年に出ており、『数字卦画』の発見と研究者間での認識の成立は2008年よりも先行しているのは間違い無いだろう。それがライプニッツの2進数と絡んでいるわけが無い。

まあしかしながら、易の成立において『デジタル的転回』なんて無かったと批判しておくには、石田英敬『新ライプニッツ記号論のために-「中国自然神学論」再論』を読まないわけにもいかないので読むことにした。

とりあえず目に入った問題点を列挙していく。引用した文章の頁数は上記論文が収録された以下の書籍の頁数であり、上記論文はその巻頭の第一章として収録されている。

デジタル・スタディーズ2
メディア表象
編者 石田英敬吉見俊哉/マイク・フェザーストーン
東京大学出版会発行
2015年9月7日初版*1

『貞』字は卜辞の成立に先行しない。

該当書21頁にこうある。

現代フランスの中国学者レオン・ヴァンデルメッシュは、「卜」を始まりの文字として、「占」、「貞」が記号化され、「卜辞」という定式が生まれていったと述べている。

端的に言ってヴァンデルメッシュの誤認だろう。この引用箇所の前段で論文著者が述べているように『貞』字は『鼎』からの仮借として使用が始まっており『鼎』の上部に『卜』を付けた文字が『貞』に変化した。殷(商)代の卜辞では『卜』が無い『鼎』のまま卜辞で使用されている。『鼎』の上部に『卜』がつくのは西周時代の金文に入ってからで、卜辞の形式の確立は『貞』字の発生よりもかなり先行していることになる。(参考 貞-Wiktionary
個人的希望としては卜辞の形式である『対貞』には触れて欲しかったところだ。

易経卦画の陰爻は『六』字

元勇準先生の「『周易』の儒教経典化研究−出土資料『周易』を中心に−」では、易経卦画の陰爻とされているものが、『六』字であったことを出土資料を使って証明している。卦画の陽爻も一(=10進1桁の最大の陽数である9)であったのだろう。易経爻辞の六や九は陰陽を数字で表したものではなくて、元々は六や九であったものを後代に陰や陽と理解するようになったということだ。

なので、該当書23頁の第3段落の「しかし私見では……」で始まる段落では、文字の前に画があって、その画は陽と陰だと主張しているが、その主張は『六』字が陰爻となったという歴史的経緯に反していると言わざるを得ない。

卜は卜、筮は筮

現代では卜筮とひとまとめにされているけれども、卜は亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨といった動物性の素材を使った占いであり、一方、筮は植物性の素材を使った占いで、元々は全くの別物であった。なので、該当書の25頁から始まる「占学のデジタル回転」の節での論証は穴が多いと言わざるを得ない。例えば、25頁、

亀というアナロジックな宇宙のミニチュアを離れて、占いが筮の算木を使った六ビット計算を単位とした〈組み合わせ術(combination)〉化する。

というの主張は、卜から筮が出てきたものではないし、数字卦画で1~10の数字が使用されていた事実から二重に間違っているだろう。最もここで、「数字卦画は占いの結果を数字化したものであるからデジタル化には違いない」と転換するなら否定はしない。しかし断じて2進数ではない。そして次でも述べるけれども、小成八卦を積み重ねて大成六十四卦ができたのではなく、大成六十四卦を上下に分割することで小成八卦が作られたのであって、組み合わせではなく分割だ。

易は大成卦から始まった

出土物によれば易では6爻で構成される大成六十四卦が先にあって、そこから小成八卦が作られたということが確認されている。なので25頁に陰陽されている、太極→両義→四象八卦という展開図は、後世の後理屈なのは論を待たない。また卜兆の数字化は筮の始まりの数字卦画から既にあったし、それは2進数ではなかった。

ということで

以上、ライプニッツが易をどう理解したところで、それは後代の後理屈で整理された易から何かを理解したというだけのことであって、当の中国では『デジタル的転回』なんて無かったわけだ。『デジタル的転回』は良くてライプニッツと該当論文の著者の頭の中、もしくは該当論文の著者の頭の中にあるだけのものだろう*2

*1:元勇準先生の学位論文から既に7年が経過している。

*2:それ故に価値の無い論考だ、とまでは言わないが。