西方よりのインパクト

中国の占術は大きく2回に分けてホロスコープ占星術からの強い影響を受けた。1st Impactは戦国時代から前漢にかけてで、この時『六壬神課』が生まれた。六壬神課の課式には『昴星課』と名付けられたものがある。昴星課では陽の日は天盤酉の下を陰の日には地番酉の上の十二支(天盤十二神)をもって初伝発用とする。

六壬において酉は古名を従魁といい、金牛宮を意味している。昴星の昴は二十八宿の昴(スバル)のことであり、星座としての牡牛座で牡牛の背中の部分に当たる。つまり六壬には星座として牡牛座が、“Sign of Taurus”と一致していた時代の記憶が封じ込められている。

唐の時代に起きた2nd Impactでは、まず七政四餘という形でホロスコープ占星術が、ほぼそのまま受け入れられた。しかし天文暦は日々更新していかないとすぐに使い物にならなくなることもあってか、様々な改変を加えながら受容されていった。

一つの成果が、アラビック・パーツをベースにした様々な星をハウスから作られた十二宮に配置して占う紫微斗数だ。紫微斗数で重要な紫微星と天府星は、おそらくはPOFとPOSが基になっていて、POFとPOSが地平線に対して対称に逆回転をするように紫微星と天府星は寅−申のラインに対して対称に逆回転する。

もう一つの成果が、デーカンの概念を利用し月の十二支から十干を取り出して日干との関係に付けられたタグである通変を軸として占う四柱推命だ。そして元の時代、耶律楚材の『天官経』で行われた試みを源流とする星平会海が遠く清の時代くらいに生み出されることになる。

さて紫微斗数におけるハウス・システムはホール・サインであることが自明だけれど、このことは、七政四餘が生み出された中国唐代までのホロスコープ占星術が採用していたハウス・システムがホール・サインであったことをしめしている。当然のようにテトラ・ビブロスのハウス・システムもホール・サインであっただろう。