易経 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 角川ソフィア文庫 |
mixiでの話ではあるけれども最近、玄珠さんが、林成光先生の占例を基に講義をしてくれている。これがもの凄くためになるのだが、暗喩に満ちているというかこれまでの易経解釈に寄りかかったままだと引っかかるトラップが仕掛けられている。ところがテキスト・クリティークのしっかりした三浦國雄先生の易経の解釈の御蔭で、ここ2回程は玄珠さんのトラップを回避することに成功した。ということで、再度、三浦國雄先生の『易経』を強く薦めておく。
全然話が変わるけれども、昨日ロシアに隕石が落ちて1,000人規模の怪我人が出る事態となった。実は、易経に隕石絡みの爻辞がただ一つ存在する。易経下巻の姤(天風姤)の爻辞だ。
九五、以杞包瓜、含章、有隕自天。
何故、私がこの爻辞を知っているかというと、皇極経世書絡みで爻辞を追っていた時に見つけて記憶に残っていたからだ。これを三浦國雄先生は、
九五(きゅうご) 杞(おうち)を以(もっ)て瓜(うり)を包(つつ)む。章(しょう)を含(ふく)めば、天(てん)自(よ)り隕(お)つるもの有(あ)らん。
と読み下した上で、
九五 杞の葉で瓜を包む。このように彩のあるものをなかに包み隠せば、天から贈り物が降ってくる。
と解釈されている。しかし僭越ながら*1昨日流れた隕石の動画を見たときに感じた印象を言わせて頂くと、隕石落下の、あの禍々しい美しさを表現するには、この解釈では些か物足りないと思う。
そこで三浦先生が『杞』に“おうち”の読みを振られたことを踏まえて、自分なりの解釈を展開してみたいと思う。
『杞』が“おうち”と訓じられているので、三浦先生は『杞』を“おうち”の別名のある“センダン”と解釈されていたことがわかる。センダン- Wikipediaによれば、その葉は大きく、
葉は奇数2-3回羽状複葉で互生し、一枚の葉全体の長さは50 cm以上ある。小葉は草質で薄い。楕円形で浅い鋸歯がある。
とある。瓜を包むには充分な大きさだ。さて“おうち”と訓じられる樹木で有名なのが、荘子に出て来る『樗』だ。福永光司著の『荘子内編』では『樗』に“おうち”の振り仮名が振られている。荘子における『樗』は無用の大木で、その無用さ故に天寿を全うすることができる存在として出現している。荘子には同じように無用であるが故に天寿を全うすることができて巨大化した樹木が数回現われる。
閑話休題、つまり『以杞包瓜』では、有用な食物である瓜を、無用でただ巨大な“おうち”の葉で包むという対比がなされている。そして『章』だが、これは模様の意味だろう。柳宗元の『捕蛇者説』の冒頭に、
永州之野産異蛇、黒質而白章
とあり、『黒質而白章』は『黒地に白の模様がある』ことを意味している。つまり大きな“おうち”の葉で包んでも瓜が少し見えて、それが模様となっているのが『含章(章を含む)』が指しているところだろう。有用な瓜と無用の“おうち”が織りなすコントラストの効いた模様、それがこの『章』だ。
ということで、私の解釈は以下のようになる。
九五 無用でただ巨大な杞(おうち)の葉で有用な食物である瓜を包む。有用の瓜が少し見えて、無用の杞(おうち)の葉とコントラストの効いた模様を織りなしている。その美しさ禍々しさは天から落下する隕石が放つ輝きのようだ。