奇怪な豊

先日、玄珠さん*1に言われて気がついたけど、豊の卦辞・爻辞は奇怪な部分がある。

豐。亨。王假之。勿憂宜日中。
初九 遇其配主。雖旬无咎。往有尚。
六二 豐其蔀。日中見斗。往得疑疾。有孚發若。吉。
九三 豐其沛。日中見沬*2。折其右肱。无咎。
九四 豐其蔀。日中見斗。遇其夷主。吉。
六五 來章、有慶譽。吉。
上六 豐其屋、蔀其家。闚其戸、闃其无人。三歳不覿。凶。

例によって原文は雨粟荘さん易経からお借りした。句読点は三浦國雄先生の『易経』に従った。

憂い勿(な)く日中に宜しい卦にも関わらず、日中に星を見ている爻辞が六二、九三、六四と3つ連続して出てくる。そしてそのどれもが『豊其』で始まり、『日中見』となっている。星と言っても北斗と小さな星と2つある。

私は日蝕で暗くなってまず北斗が見えて、更に暗くなって小さな星が見えて、明るくなりかけてまた北斗が見える過程かと思ったし、三浦先生もそういう説はあると書かれている。にしても奇怪だというのは、私も三浦先生も共通した感覚だ。

明るさを夷(やぶ)ると言われている明夷の爻辞などは、日中に星を見る奇怪さと比べるとおとなしいものだ。ついでにいうと、三浦先生はテキスト・クリティークから明夷というのは鳥、それも雉のことと解釈されている。

*1:佐藤壮朗さん。(お名前間違えてました。すみません。[2017/11/24])

*2:沫から訂正。