退如の空亡

連珠と間伝

最近、連珠格について見直していたところ、六壬鑰では進如で末伝が空亡していると退如に、退如で末伝空亡は進如に象意がひっくりかえるとしていた。占術の入り口が泰山の四柱推命だったために、空亡にそういった反転を起こす程の重きをおきたくないという気分が私にはある。しかし卜占ではもう少し考えてみた方が良いようだ。特に連珠格は三伝皆空ということも割とあるので用心が必要になる。

ところで退如で末伝空亡は進如に象意がひっくりかえるという記述で思い出したのが、一種の天候占という数年前のエントリだ。水星が見えるかどうか占ってみた話だ。

このエントリでは以下のように書いた。

ただ時間を潰すことに決めてあったし、連珠格が退如であることに一縷の望みをかけてみた。つまり雲が少なくなって行くのではないかと考えてみたわけだ。

結果的には雲がどんどん増えてきて水星を見ることなんてできなかった。これについて玄珠さんから以下のコメントをもらった。

退茹に空亡があれば進茹というわけでしたか。

まさしくこれがオーソドックスな読みなのだけれども、トンマな私は、

あ、そういう見方もありですね。

なんて返しているわけだ。お気楽なものだ。

ただ水星を見るということでは、2011年1月7日の早朝にちゃんと見ることがでてラッキーだった。