課式がラディカルであるということ

生徒さんの失物

以前、生徒さんの1人が失物を六壬で占って見つけたというエントリをあげていた。その時の課式がこちらのエントリにあがっていたので見てみたのだけれども、正直、何故出てきたのかピンとこなかった。しかし占って失物が出てきた以上、得られた課式はラディカルだったはずだ。そこであがっていた課式から天地盤その他を再構成して、じっくり考えてみることにした。

私が失物を占う場合は出る出ないが念頭にあるので、通常は失物自体は三課*1に出てくることになる。ところが一課を含めてもどちらも失物である“青いペンマウス”を指しているとは考えにくい。一課、三課とも戌、辰と土行の十二支だ。土行は季節の休であること、日干は季節に死であり、どちらにしても青くはない。

色を手掛かりに考えると四課の子が季節に相であって、子の水行の児色は木行の青になる。子に乗じた天将は青龍で、よく動くもの、六親の父母は文字などを描くものなので、四課が失物自体を表していると考えられる。であるなら三課は失物の在り処と判断できる。つまり生徒さんは、物が出るかどうかどうかを問うたのではなく、何処に在るかを問うたのだろう*2。こういった判断の機微は伝わらない人には伝わらないだろうな。

天地盤は天地相会、三伝も局を成しているので出ると判断できるし、実際、三課でもある末伝の指す場所から出たそうだ。辰*3は袋といった物を収納するための空間を指す。玄武なので普段は暗い場所で、妻財ということで他にも物がゴチャゴチャ入っている所ということになる。天袋から出てきたそうだ。生徒さんは見つかったのに驚いていたけれども「当りに不思議の当りあり。外れに不思議の外れなし」なんだろうな。それでも術と真剣に向き合っていれば、こうやって時に術が助けてくれる。まぁこういうエラソなエントリあげてる私も、ゆっくり考えているから言えるわけで、自分が失物を占っているときはこうはいかないよね。

なお子は水行なので潤下ということになる。水は高低の差によく追随する。ポインティング・デバイスもまた手の動きに追随して位置情報を送信し続ける。ポインティング・デバイスの類神として神后子は有りかもしれない。亥も水行ではあるけど、それ自体の意図を感じさせて、ちょっとポインティング・デバイスからは遠い感じだ。

*1:極まれに一課。

*2:講義で確認してみたところ果然であった。

*3:戌もそうだが。