まあ色々尾を引いている紫微斗数の非常に残念な本の一件なんだけど、中島多加仁さんの御弟子さんの1人であるふじやん*1さんなんかは未だに、
この本は確かにその様な点もありますが、全てのノウハウ本や教本は大差無く、よく聞く話です。
アウトプットは全てがインプットした内容に依るものですから。
という自説を引っ込めていないみたいだし、ふじやんさんのマイミクのアーマー☆キング*2さんとかが、私のはてな日記に行儀の悪いコメント付けてくる/きた状況*3でもあるので*4、ふじやんさんの言い分が世間で通るものかどうか検証してみることにした。
本番は当然、書籍の文章の比較になるけど、その前にWebの文章で、椎羅さんの「紫微斗数入門」と中島さんの文章を比較してみることにする。以下では中島さんの文章として、
「星読み師takaの癒し系占い部屋」の紫微斗数の解説のページ
その魚拓「星読み師takaの癒し系占い部屋」の十二宮の解説のページ
その魚拓
から文章を拾ってきた。このエントリを書いている時点では魚拓から中島さんの文章を引っ張ってきている。比べてみると、紫微斗数の歴史についての記述で、以下のような非常に似通った文章が見つかる。
中島さん | 紫微斗数入門 |
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文献によると、中国唐の時代から宗の時代にかけて活躍した陳希夷(867〜984)という仙人が創始したとされています。 |
紫微斗数は、中国唐の時代から宗の時代にかけて活躍した陳希夷(867〜984)という道士(仙人)が創始したと言い伝えられています。 |
おそらく唐の時代にインド経由でもたらされた西洋のホロスコープ占星術が中国風に形を変え、その影響を受け、新しいひとつの占術の原型をつくったのでしょう。 その後、その道教の門派の中で様々な実験と取捨選択が行われ、その結果いくつかの系統の伝本が現代に伝わりました。 |
これは全く想像の域を出ませんが、おそらく唐の時代にインド経由でもたらされた西洋のホロスコープ占星術が中国風に形を変え、その影響を受け陳希夷(あるいはその周辺の人物)が新しいひとつの占術の原型をつくったのでしょう。 その後、その道教の門派の中で様々な実験と取捨選択が行われ、その結果を集大成したものが明代に編纂された「紫微斗数全書」ではないかと思われます。 |
同じ文字列の背景色を黄色にしておいた。それと単に事実の記述と言い抜けられそうな箇所は緑にしてある。誰が見たところで偶然の一致では済まされないレベルだろう。探せばこういう例は幾つも出てくるだろう。本番は紙文書の電子化工程があるのでゆっくりやるつもりだ。
十二宮の解説のページはもっとすごくて、各宮毎にコピペがあると言って良い。3つ程例を挙げてみようか。
中島さん | 紫微斗数入門 |
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紫微斗数では、人の命運を測るのに12の角度からのアプローチをします。 |
紫微斗数では、人の命運を測るのに12の角度からのアプローチをします。その人の特質を読み取る12の窓とも言えます。命宮から父母宮まで12の宮があり、さらに番外として身宮というものがあります。 |
紫微斗数で人の命運を読み取る基本となる最も重要な宮です。 才能や職業の適性、そして 成功の程度などを読み取ります。 |
紫微斗数で人の命運を読み取る基本となる最も重要な宮です。その人の性格、特性、気質、運命の傾向の基本的なことがらがすべてこの宮に表現されます。 また、才能、職業適性、どのくらいまで登りつめることができるのか、成功の程度、などを読み取ります。また、健康状態の基本、容貌などを見ます。 |
兄弟姉妹との関係を見ます。 |
兄弟姉妹との関係、何人くらい兄弟があるか、を見ます。兄弟姉妹がどのような人か、兄弟仲が良く助け合うかどうか、あるいは反目し疎遠となるか、などを判断します。 |
で、ふじやんさんはこういう例を見たうえで自説が成立するかどうか、じっくり考えてみることだ。自説が成立すると強弁されるなら、中島さんの文章と「紫微斗数入門」に共通するインプットとやらを提示してもらいたい。ということで安倍一輝*5さん、ふじやんさんへの伝言宜しく。
しかしまあ私が2chや某所のコメント欄で書かれているような人間だったとしても、こうした事実が変化することってないのにさ。哀れな人達だよね。それとこのはてな日記で御判りのように他人様のコメント欄で複数のハンドルを使い分ける必要などないのだよ。中島さんがコメント欄のIPさらしてくれないので、私はやってないという直接的な証明はできないがね。中島さんもコメント欄のIPさらせばよいものを何故やらないんだろう?
あそうそう、このエントリ書く過程でURL見て気が付いたけど、中島さんも“シビト”の人だったんだねぇ。