平安時代のホロスコープ占術

平安時代遣唐使によってインド占星術が到来し『宿曜道』となった。インド関連の知識であったため宿曜道は主として密教系の僧侶によって伝承されていくわけだが、天文暦の更新が困難であったことが主たる理由なのだろうけど、本格的にホロスコープを作成して占う技法が宿曜道から失われて久しい。

この宿曜道の原典の一つが、「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」、略して「宿曜経」である。山伏であった私の祖父も宿曜経を所蔵していたが、これは和綴じの冊子で上下二巻だった。上巻はインド天文学の概説から始まっていて、何々の天まで何由旬とかという、まあ近代天文学からはずれた内容ではあったけど、宿曜経が成立した当時としては最先端の知識が盛り込まれていた。

高校の頃に宿曜経を翻訳してみようとトライしてみたことがあるが、月が位置する宿の近似計算方法についての注釈が出鱈目だったので、上巻の途中で放り出してしまった。月が位置する宿の近似計算方法というのは、大雑把に言うと、

  1. 朔望月で望の頃に太陽が位置する黄道十二宮が変わるので良しとするよ。
    • 望のとき月は太陽の真反対だから、望の日に月が居る宿がわかるよ。
  2. 宿の大きさは不等間隔だけど、大体のところ月は1日に1つの宿の割合で移動するよ。
  3. だから望の日の宿から前後にたどれば、その朔望月での月が居る宿の暦ができるよ。

こんな感じだ。で、宿曜経には毎月の月が位置する宿の暦の一覧が注記の形で添付されているのだけど、これが中国天文学二十八宿で作った一覧なわけだ。インド天文学での宿は二十七宿なので、これは出鱈目といって良いだろう。なおこの大雑把な宿の近似計算に基づいた月宿の一覧が欲しいなら、高野山で売っているのは確からしい。

以前、黒門さんが、中国でインド占星術を受容した時に宿の名前に中国の二十八宿の名前をそのまま適当に当てはめたことが、後世まで混乱を起こすことになったと言っていたけど、私もそう思う。二十八宿から牛宿を除いて残りの宿の名前を、インドの二十七宿に適当に放り込んでいったわけで、名前の順序は二十八宿と二十七宿でグチャグチャになっているし「誰がやったんだ責任者出て来い」と言いたくなる。

まあ月の計算はややこしいところがあるので、二十八宿の占いは今では単に28日サイクルの占いへと変貌している。ただ占いの面白いところは、天文学的に正確であることと占いが使えるかどうかには直接の相関がないことで、二十八宿の占いにもそれなりに意味はある。


破門殺

で、話は宿曜道にもどるけど、宿曜道の伝承は寺院に残っていることが多い。そしてそういった伝承を掘り起こしてまとめられたのが、脇長央著、羽田守快監修の「破門殺―密教占星法奥義 大凶運を覆す最強の宿曜道秘伝」だ。これを監修された羽田先生が林巨征先生コラボの講習会を開かれることが決まったそうだ。

羽田守快先生の宿曜占術は、暦から月と太陽木星の動きを出して細かく見ることができるそうだ。生年月日までを使用する占術でかなり精度の高い占いができるということなので、興味のある人は受講した方が好いだろう。なお林巨征先生は、高島正龍公譲りの高等気学の実践について講義されるそうだ。高島正龍公の高等気学の講義を受けるチャンスはそうそうあるとも思えないので、自分の気学に限界を感じている人には朗報だろう。