インドにはティティがあったじゃないか

宿曜についての続き

前のエントリは、

ただそれでも、

  • 十五夜が望とは限らない以上、傍通暦の起点は十五日ではなく望の瞬間を含む日ではないか?
  • 閏月の処理はどうするべきなのか?

という疑問は残る。現代のインド占星術では、この辺りはどう考えているのだろう。

と、投げた感じで終わったけれども、少なくとも前段については実際の日付、つまり朔を含む日を1日として1日毎に増える日付ではない、ティティ*1の導入によって解消される問題ではあるだろう。ティティは1朔望月を30分割したもので、古くは朔から望まで、望から次の朔までをそれぞれ時間的に15分割して決めていたようだけど、現代では月と太陽の黄経差が12の倍数となる時刻毎にティティが進むようになっている*2。朔から望までが白分、望から次の朔までが黒分となっている。なので黒分第1ティティの始まりは望の時刻ということになる。ティティは言ってみれば朔望月の日付のイデアだ。

ティティで傍通暦を作れば月の速度の変化や『名月が満月とは限らない』といった問題からは逃れられる。しかしだ、1朔望月がきっちり30ティティということを考えると、何故、宿は27という月の公転周期をベースとする数なのか?という疑問が頭をもたげてくる。朔望を重視するなら29とか30じゃん。インドじゃティティ毎に神さんがいて吉凶を司っているんだし。

と、また投げるのだった。

話は変わるけど、インド天文学はティティみたいなもので1朔望月を理想的に30という綺麗な数にしているのに、惑星についてはそのまま受け入れていて、中国が作り出した木星イデアというべき太歳がなさそうなのが何となく面白い。

*1:朔望日と訳されている。

*2:二十四節気の恒気と定気みたいだ。