こぼれ話

阿留多伎宮司からは、他にも色々とうかがうことができたのだが、鹿卜が廃れた原因の一つはやはり鹿の肩甲骨の入手が困難になったためとのことだった。阿伎留神社には極彩色の絵巻物が伝わっていて、そこには1年12ヶ月の各月の神事が描かれているのだが*1、その中の十月が太占の神事の月に当たっている。

太占の絵では、数十センチくらいの細い竹の先に鹿の肩甲骨を取り付けたものが五つ、焚き火*2の回りに立てられている。宮司の御話では、これは鹿骨一つで、穀物一種類の作柄を占うので、五穀それぞれについて占っているのだろう、とのことだった。

鹿卜では、右側の肩甲骨しか使用しないようなので、占うテーマ毎に1頭の鹿を必要とする。確かに現代ではちょっと無理な占術ではある。*3

ただ鹿卜の衰退に関連して宮司は、明治政府が国家神道を立ち上げた時に、政府が太占のような占いや呪いといったものを禁止してしまった結果、多くの秘事が失われてしまったということを語られた。これら失われた秘事は口伝によってのみ伝えられるものであったため、失われると二度と復元できない。そういったことを考えると「神伝鹿卜秘事記」が現代に伝わっているのは、宮司の御先祖と伴信友の出会いという幸運の賜物という他ない。

なお明治政府は、神社の統廃合に積極的だったそうだが、どうやら内務官僚の天下り先の実入りを良くしようという裏があったらしい。御役人の体質は昔から変わらないようだ。*4廃仏毀釈で御寺が弾圧されたのはよく知られているけれど、神社の側もずいぶん引っ掻き回されたんだよ。」とは宮司の言である。

*1:実物は未見。秘事記に気をとられていて、その絵巻物が実際に伝わっているとは気付かなかった。間抜けなことである。

*2:といっていいのかわからないが、屋外で特に炉をきることなく火が焚かれている。

*3:それでも鹿卜をやってみたいとのことで、宮司に鹿の肩甲骨を送ってきた人がいたそうだ。

*4:id:kanryoさんとかだとこういうこととは無縁なんだろうか。