阿伎留神社で「神伝鹿卜秘事記」と神字和歌に出会う

もう20年以上前だが「復刊地球ロマン」という雑誌*1があった。地球ロマンに時々寄稿していた竹内健氏によると「神伝鹿卜秘事記」という鹿卜に関して最も古い資料が東京都内の阿伎留神社に伝わっているという事だった。阿伎留神社にはその他にも神字*2で書かれた和歌も伝わっているということであった。

かねてから一度拝見したいと思っていたのだったが、ようやく願いをかなえることができた。Webに阿伎留神社のページがあり、連絡先が書いてあったので電話をして「一度、神伝鹿卜秘事記と神字和歌を拝見したい」と御願いしてみたところ、阿留多伎宮司から快くOKを頂くことができた。そこで大久保占術研究室の田中さんと一緒にお邪魔した次第である。田中さんには写真撮影で御世話になった。*3

新宿からJRで2時間かからない武蔵五日市駅*4から歩いて15分くらいの所に阿伎留神社は鎮座ましまししている。境内は木々で覆われているが、以前はもっと鬱蒼とした森だったらしい。


写真1. 本殿.

写真2. 扁額.

本殿の扁額には金文字で「阿伎留神社」とある。地名としてのアキルは「秋留」と書かれるが、「畔切」といった表記がなされることもあるらしい。JR武蔵五日市駅のある「あきる野市」の名前もここから来ているのだろう。阿伎留神社は秋川が大きく蛇行して作る有情の地に建てられている。


写真3. 御祭りしてある石.

写真4. おそらく水神様.

阿伎留神社には多くの神様が合祀されているのだが、特に拝殿はないが御祭りしてある石があったり、井戸の前や夫婦杉*5の間などに小さな祠があり、境内のそこここに小さき神様がいらっしゃる神社である。季節も良かったのか、気持ちのいい境内だった。*6


写真5. 神伝鹿卜秘事記.

写真6. 鹿の肩甲骨.

さて、「神伝鹿卜秘事記」である。阿留多伎宮司から「写真とか御自由にどうぞ」と許可を頂いたので田中さんにバシャバシャ撮ってもらう。少し虫食いが入っているが、丁寧な字で、鹿卜の由来、祝詞、鹿の骨の前処理方法、そして鹿骨を焼いて入るヒビから吉凶を読む方法が書かれている。

鹿の骨は、まず肉片等をきれいに取り去り、平らに削って油抜きをする等しておかないと、焼いたときにうまくヒビが入らないものらしい。骨を削り易くするには米の研ぎ汁に漬けておくとよいなど、細かく指示が入っている。

阿留多伎宮司によると本来はこのような記録は残してはいけないもので、秘伝口伝*7として伝えるべきものということであった。ただ宮司の御先祖が国学に傾倒されて、伴信友に鹿卜の詳細を伝えるために書かれたのが「神伝鹿卜秘事記」ではないかとのことだった。伴信友は「正卜考」に「神伝鹿卜秘事記」の図面を引用している。あの伴信友が見たのと同じ資料を見ているのかと思うと実に感慨深いものがあった。

占いの原点ともいうべき鹿卜に触れることができ、占いに関わる者としては実に幸運だった。「神伝鹿卜秘事記」を実際に目にして発見だったのは、鹿卜が対馬の卜部家から出ていることを確認できたことだった。商(殷)では亀卜が重要な位置を占めており、亀卜に使われて占った結果が掘り込まれた亀甲も出土している。鹿卜は亀甲の換わりになるものとして鹿の肩甲骨を使用したものと考えられ、商の文化が対馬経由で海を越えて関東の地まで伝わってきたのかと思うとやはり感慨深いものがある。*8

白川静によると、商の文化は文身の風俗などを含めて日本に割りと残っているらしい。神代文字といわれるものの多くが、文字に呪力が満ちていた甲骨文や金文、契文をレタリングしたものという説を考えると、公式記録以前に文字の祖形が日本に伝わっていたのかもしれない。う〜ん、やはり感慨深いものがある。
神代文字の話が出てきたが、阿伎留神社の境外末社の琴平社には神代文字で書かれた和歌の版木が伝わっている。使われている文字は、阿比留草文字の系統であるが竹内健氏によると、阿比留草文字とは異なっている所があるとのことで、竹内健氏は独立した文字としてあつかうべきとして、阿伎留文字という名前を提唱している。

この神代文字の和歌は一つの版木に二首の和歌が彫られており、版木で刷ったものを折って御守りとしたということを宮司からうかがった。内容は養蚕と密接に関わっている。宮司によると奥多摩一帯の琴平社は全て御蚕の神様ということであった。琴平社というと、四国香川の金毘羅様が有名で「こんぴら、ふね、ふね」と歌にもあるように、海と関わりのある神様かと思っていたが、関東には山中に琴平社がある。不思議に思っていたのだが、少なくとも一部は養蚕の神様ということで謎が少し解けた*9

さて、和歌の文字で私が知っているのは唯一だけなのだが、竹内健氏によるとこれは「申」の古篆をレタリングしたものとされている。「申」なので仮名の「サ」に対応している。「申」は本来、雷電つまり稲光を表す文字であったらしい。

故に六壬において、伝送申と天将白虎は電気を象意として持つ。申の五行である金行は名前の通り金属を象意の一つとして持つが、金属特有の光沢は金属中の自由電子による光の反射によって発生し、稲光は放電によって発生した自由電子が空気中の分子、原子、イオンと衝突することによって発生する。十二支の申を金行に配当した古代中国人のイメージには驚く他はない。

帰りに実際に神字和歌を刷ったものを頂いた。宮司は気さくな方で何でも答えて下さり、瞬く間に時間が過ぎ去った。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。

*1:八幡書店武田崇元氏が編集長で、武田氏は有賀龍太というペンネームで記事も書いていた。

*2:いわゆる神代文字

*3:遅刻してすみません。

*4:拝島での乗り換えには注意すること。

*5:桧だったかも。

*6:阿伎留神社は密かなデートコースでもあるらしい。

*7:神伝鹿卜秘事記には○○秘事という記述が題名を含めて沢山出てくるが、本来口伝であったことの反映だろう。

*8:「阿比留」姓の一族は亀卜と同じ様に対馬を出発して関東に到ったらしい。World Wide Abiru Projectを参照のこと。

*9:ただ琴平社の御神体を見たという人の話だと、船に乗った媛神様だったということで、船と無関係ではないらしい。養蚕が海を渡ってもたらされた記憶の名残なのだろうか。