時間と空間の支配

ここ数日、信長についていくつか考えている。ま、漠然とした話にならざるを得ないが。

神話・伝説の世界では、どこどこの地名はこういう理由でそうなった、という話が色々出てくる。一方、日本において歴史的に自分の意思で地名変更を行った人間は、多分、信長が最初だろう。日本は面白い文化を抱えていて、姓名で人を呼ぶことを憚るところがあり、姓名の代わりによく地名*1が使われる。多分、信長以前の世界では、地名は遠い神話・伝説の時代に決まったものであって、今生きている人間が手をつけるものではなかったということだろう。

そういう状況下で、地名を自らの意思で変更した上で「天下布武」と宣言するということは、自らの武力で日本という空間の全て支配すると宣言したに等しいだろう。これは当時の状況下*2では天皇の権威に挑戦することだったはずだ。

信長は時間の支配においても天皇の権威に挑戦している。天皇は暦の作成権を独占していたが、戦国時代になって地方分権化が進行してくると、京都で作成した暦を全国的に流通させることが困難になってくる。当時、信長の出身地である尾張地方は三島暦を使用していた。当時の暦は太陰太陽暦で、この暦のシステムは非常に地域性が強く、微妙なところで1ヶ月ずれる場合がある。*3信長は本能寺の変で倒れる前に、かなり強硬に三島暦の採用を主張している。

時間と空間を支配しようとした信長が、名ばかりであったとしても既にその支配者であった天皇と敵対するのは当然の成り行きで、信長は自らを神格化するという実験を行っている。もっとも、この実験は不首尾に終わったらしい。といって足利将軍と同じく武力で潰すこともままならなかったようで、本能寺の変の直前くらいに信長の方から「征夷大将軍太政大臣、関白」のどれかにしろと申し入れている。信長は皇太子の誠仁親王二条御所に取り込んでおり、自分の影響下にある天皇を作ることが可能な位置にいた。

後は足利義満*4にならってゆっくりと天皇を無力化し、最終的に織田の血筋の天皇を作り出せばよいわけだ。もっとも成功の直前に死んでしまったところまで義満と同じであったのは、信長にとっては計算外だっただろう。

*1:例えば、御殿場の妖怪といえば岸信介だし、田中角栄は目白といわれていたし、歴代天皇でも隠居所の地名が諡号となっている場合がある。そう某巨大カルトは本部のある信濃町とかいわれていたっけ。

*2:武家の棟梁である征夷大将軍の権威がガタ落ちし、その反動で天皇の権威は高まっていた。

*3:何時だったか、日本と中国で正月が違っていたことがあった。

*4:義満は、

  1. 自分の妻を天皇の母親と同格にし
  2. 日本国王として朝貢することで天皇の持つ外交権を奪い、
  3. 陰陽師の地位を破格に引き上げて祭祀のブレーンとし、自ら祭祀を行って天皇の祭祀権を奪った上で、
  4. 自分の次男義嗣を皇太子と同格にして、
  5. 後小松天皇から譲位させる、
ことを計画していた。またその前段階として、
  • 自分に逆らう公卿を罷免し、
  • 後宮の女官達に手を付けて、天皇の権威を落とすないし、非公式であるとしても自分の血筋の天皇を作ろうとする
ことをやっている。義満の計画は第4段階まで実行されており、最後の段階に進む直前に義満は急死した。多分、毒殺されたのだろう。
「室町の王権(購入」(ISBN:4121009789)が詳しい。