結構色々やった人
人なんだけど、実は生涯の中で後々まで影響のあることを色々やった人だ。
で、貞享改暦において土御門家は大きな実利を得ていた。
貞享改暦において安井算哲の大和暦は朝廷からの反発が大きく、暦道を受け継いだ賀茂家の末流である幸徳井家が明の大統暦*4による改暦の勅許を得ていた。いくら末流でも賀茂の権威は強かったというわけだ。ところが大統暦は地心モデルだったようで、測地心モデルを採用した安井算哲の大和暦とは日蝕の予想で食い違いをみせた。
月と地球の距離は地球の大きさを無視できる程には大きくなく、測地心モデルでなければまず外すことになる。
理由はこの図の感じだ。『“Topocentric”と“Geocentric”』のエントリであげた図を再録しておく。
日蝕予想で大和暦の正確性が実証されたため、幸徳井家は面目を失って朝廷による暦作成から排除され、ついに土御門家が暦道も完全に支配することになった。
これが貞享改暦で泰福卿ひいては土御門家が得た利益なわけだ。