中公新書の「軍師・参謀(購入)」(ISBN:4121009770)は作者の観点とは別に、占い師にとって非常に興味深い情報を含んでいる。ここ2回程、信長やその後継者達は風水を使って、築城や都市計画を行っていたのではないかという推測について話をしてきた。
「軍師・参謀」を読み返してみたところ、これについてかなり強い傍証があった。
- 104頁:「のち、徳川家康のブレーンとして「黒衣宰相」などといわれた天海も、足利学校に四年間在学している。」
- 59頁では、秀吉の子供である秀頼の配下に「占いに長じた」白井龍伯という軍配者*1がいて、二条城における家康−秀頼会談における秀頼の身の安全を占ったという話が出てくる。
また軍配者は占術に通じている必要があったことが、「軍師・参謀」において2つの章を費やして語られている。
興味深いのが足利学校における易のカリキュラムで、
- 看卦法
- 六神法
- 生旺墓法
- 推四季旺神法
- 推納甲法
- 定六神法
- 定世法
- 定応法
- 定身法
また軍配者があつかっていた軍配自体が、日取り吉凶の早見表になっていたり、磁石付のものまであったらしい。
桶狭間の戦いがあったのが1560年で、中国で明が成立しておよそ200年が経過している。日本の僧侶は当時のインテリゲンチャ階層であり、かなり盛んに書物を通じて中国から知識を吸収していたらしい。足利学校自体が僧侶によって運営されていた。
ところで、軍配の写真がないかと探していたら、ようこそ、ずっこけ安倍晴明伝へというページに行き当たった。ここの「陰陽道と戦国時代」は、やはり「軍師・参謀」をネタ本にしているよう*2だ。なお「六壬式式占」の六壬を「ろくじん」と読んでいたのには、ほんと、ずっこけた。頼むから「りくじん」と読んでくれ。